れんだいこの川口大三郎君虐殺事件考 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.11.22日
これより前は「川口大三郎君リンチ虐殺事件」考その2」
(「川口大三郎君リンチ虐殺事件」考その2)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「れんだいこの川口大三郎君虐殺事件考」を記しておく。 2022年.11.22日 れんだいこ拝 |
【れんだいこの特殊な理由による川口大三郎君虐殺事件考】 | ||
「川口君事件」から得る示唆と教訓は多すぎるほど多い。川口君リンチ死を媒介にして数千人規模の学生が怒り、一党派を糾弾してしかも徹底的に吊るし上げた例、「早大行動委」が反撃に転じた革マル派と半年に及ぶ死闘戦を継続した例、革マル派の窮地を救うためかくも露骨に大学当局、機動隊が加勢した例は他にはないのではなかろうか。それは余りにも学生運動内に於ける革マル派の立ち位置と役割を如実に示してはいないだろうか。これは学生運動史上に伝えられていくべき貴重な体験ではなかろうか。だがしかし、そうした貴重な意義を持つ「川口君事件」が本格的に取り上げられることは少ない。いつも決まって仕舞いには饒舌がはびこる。これは何を意味しているのだろうか。 「川口君事件」を通じて見えてくる教訓は、革マル派の暴力に対抗するのに何も難しい理屈は要らなかったということではなかろうか。少なくとも、大学当局と機動隊の力を後ろ盾とする革マル派の暴力支配に立ち上がった大勢の学生が、終局やはり暴力で捻じ伏せられたという史実は、これに抗する戦線構築に失敗したという苦い教訓であり、それ以外の方向へ認識が向かうべきだろうか。 早大学生運動史は、戦前戦後を通じて赫赫たる実績を見せている。その様は、官立の雄としての東大に在野の雄早稲田が一歩もひけをとることなく渡り合ってきた観があり、このスタイルが支持され、早稲田の「左」の伝統ともなっていた。それは、政治的イデオロギー以前のいわば各人各様の生き様を尊重して、互いの自由・自主・自律的な生き方を認め合い保障しあってきた土壌があればこそ生み出された史実であると思われる。学生運動史上に輝く早大出の多くの活動家はこの土壌から生まれたのではなかったか。ところが、革マル派の暴力支配はこの伝統の圧殺という役割を意図的に引き受けており、これが大学当局をして安堵せしめ、ある種の密約さえ窺わせるものとなっていた。 「川口君事件」で決起したそれまで一般学生でしかなかった早大生の多くは、革マル派がこの伝統を理不尽に踏みにじって恥じないそのこと故に立ち上がったのではなかったか。あの怒りは凄まじかった。「早稲田民族主義」ではあったが、大事にしたい怒りであった。しかし、早大生万余の決起は結局潰された。これをどう総括するのか、これをしない限り「川口君事件」は単に川口君の無念の死でしかなかろう。 今日、第四インター系の声明がインターネット上で公開されているのでこれをも検証してみたいと思う。が、同派の声明が、中立そうな見識のひけらかしは別として、かの局面に何がしか有効な処方箋を提示し得ていたのだろうか。もしそうであると云うなら、人類は、ここでは早大生は、現に暴力で立ち現われる勢力に抗するのに、暴力以外の方法で対処しえるような知恵を獲得する絶好機会であったということになる。 が、れんだいこは今もってそのような知恵を見たことも嗅いだこともない。ギリギリの戦闘が要求されている時、「内ゲバ反対」のくさびで割って入る役割が客観的に何を意味するのか、「元の木阿弥」に戻ったキャンパスを見れば自明ではなかろうか。それでも「内ゲバ反対の唯一の党派」的な自画自賛するのは一種のヌエ論法ではないのか。れんだいこは憤然としてそう問いかけたい。この連中とは百年話し合っても通じ合わないに違いない。 |
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この問題につき、ネット検索で「レポート/早大図書館占拠闘争の軌跡」を知った。「はじめに」で次のように記している。
れんだいこは、この見解に概ね御意である。 「資料2」(「早大11.19図書館占拠闘争救援会発行ビラ」)の冒頭で次のように記している。
れんだいこは、この見解に概ね御意である。 |
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れんだいこは、川口大三郎君虐殺事件につき特殊な感慨を持っている。これを一言でいえば「他人事ではない」と云うことになる。どういう意味か。それは、れんだいこがもし早稲田の法学部ではなく文学部に入っていたら、どういうことになっていたかという設問になる。恐らく同じような目に遭っていたのではなかろうかとの思いがある。そういう意味で他人事ではなかった。これをもう少し述べる。 れんだいこは元々歴史学専攻を希望していた。日本史でも世界史でも良いのだが、敢えて云うなら日本の古代史に特に興味を覚えていた。そういう意味では文学部を受験するのが筋であった。ところが、二人の兄が口を揃えて「潰しが効くのは法学部だろう。文学部は止めろ」と強硬に反対し、入学金その他で世話にならねばならなかった事情もあり、急きょ法学部へと変更したと云う経緯がある。子供の頃、弁護士に憧れていたこともあり、法学部でも良かろうと云う思いになった訳である。 そういう経緯があるので、川口大三郎君虐殺事件は他人事ではなかった。川口君には申し訳ないが運の差のようなものを感じる。恐らく川口君は、あの頃のれんだいこと同じで、思ったことを屈託なく堂々と所信表明する政治能力を持つ学生運動家の卵だったのではなかろうか。但し、文学部のキャンパスを制圧する革マル派の大人びた陰険なる素性について知らなさ過ぎた。当時の緊迫した党派間戦争下での革マル派の牙城である早稲田大学文学部で、「革マルと中核を比較して論じ、ましてや中核派を是とするような言辞を吐く」ことがどれほど危険すぎることかを知らなさ過ぎた。それを敢えて為し、かくなる結果となったのが事件の顛末なのではなかろうか。そして、そのことは、れんだいこが仮に文学部に入学していたら同じ目に遭っていたのではなかろうかとの思いが禁じえない。あれから40年を経た今日に於いても、この感慨が離れない。川口君の母親の無念の気持ちもひとしお分かる。 もう一つ記しておく。事件が伝えられるや否や決起した万余の学生は正真正銘のノンポリ学生であった。れんだいこがかって同じ下宿先に居た先輩数名が、あの集会の中に居た。のみならず吊るしあげの中にさえ居た。二度三度飲み食いした仲で、その際は専らスポーツ系の話を楽しむ、政治的な話しなぞしたことのない先輩だった。文中に書いたが早稲田民族主義からの怒りであった。社青同解放派のキャンパス登場時の狂喜乱舞については「検証 学生運動」の中に記した。 それにしても第四インターの愚論には怒りを覚える。この党は恐らくいつもこういう万年俺たちのみ正義論を唱えているのだろう。れんだいこ的には日共、革マルに次ぐ気色悪い奴らである。小難しく云う割にいつも中心線から外れたことばかり饒舌していらぁ。中核派が三理塚闘争の過程でそりが合わず終いにはテロったらしいが、それを是認する気はないが表に出てこないよほどのことがあったのだと思う。他にも関連したことで書きたいことがいろいろあるが、別の機会に記すことにする。 2012.8.13日 れんだいこ拝 |
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今、改めて思うのに、この時の学生運動は、早稲田には特に似合わない革マル派の偏狭な学内支配に対する、その支配からの解放運動であり、結局潰され、大きな犠牲を伴ったけれども、早大学生運動の質の高さを歴史に刻印しているのではなかろうか。それは、戦後直後の全学連結成運動、60年安保闘争、70年安保闘争前の全共闘運動、これに続く早大学生運動史を飾っているのではなかろうか。今日的に見て、お互いに反省点は幾つもあろう。どうであれ、真剣な命懸けの営為に関わったことは誉れであると自負できるのではなかろうか。私の能力が許せば、こういう観点からの検証もしてみたいと思う。私で不足であれば誰かがすべきであり、一人でできなければ共同でしておくべきだと思う。 2022.11.22日 れんだいこ拝 |
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2022年12月初頭現在時点で、川口君事件を検索すれば、樋田毅・氏著「彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠」(以下、仮に「樋田本」と記す)が基調になっている。当時の運動史の流れを詳細に綴ったその営為に賛辞を惜しまない。但し、私は、樋田本を読んで分かったことであるが、樋田氏の反暴力一本鎗的立ち回りに対しては違和感を覚えている。革マル派の暴力支配をこれ以上許さないとして決起した多くの学友の期待を背負っての再建自治会委員長であるから、軽はずみな指導はできない訳だけれども、革マル派の暴力が再始動し始め、その暴力にどう立ち向かうのかが鋭く問われている局面での、当時の樋田氏らが敢えて訴えた「反暴力ビラ」と「反暴力一本鎗的立ち回り」は、私には合点がいかない。樋田氏は、当時の運動を、今もその立場から追憶し記録にしようとしているように見える。 行動委員会の「革マル派の暴力に対置する暴力」を必要とする動きと、樋田氏らの「革マル派の暴力を否定する反暴力」に拘ろうとする動きの両論を紹介をしているので公平性はあるのだが、樋田本は、後者の側から物語化せんとしているようにお見受けする。しかし私の立論は逆であり、前者の側からの運動を成功させ、自治権力を確立することによって伝統的な百家争鳴のキャンパスの復興を目指すべきだったのではないかとする問いを抱き続けている。この見地からの川口事件論、その後の再建自治会派の能力と限界を見つめる論考をものしたいと思っている。川口君はその営為を促す歴史の人身御供になった、その死を無駄にしてはいけないと思っている。 2022.11.30日 れんだいこ拝 |
【「れんだいこの党派間ゲバルト処方箋」考】 | ||||||||||||||||||||||||
手前みそ過ぎるかも知れないが、れんだいこの「検証学生運動下巻」の「れんだいこの党派間ゲバルト考」及び「れんだいこの党派間ゲバルト処方箋」は今読み直してみても秀逸である。これを採録しておく。この時のれんだいこ提言の水準以上のものは未だない。左派運動が無能化している所以である。
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(私論.私見)