場面8 60.4.24日【ブント第4回大会開催、安保闘争総力戦宣言】考

 (最新見直し2007.7.18日)

 これより前は「岸訪米阻止羽田闘争で、全学連が空港ロビーに突入考」に記す。

【ブント、革共同の抗争と進撃】
れんだいこ  60年の特徴は、ブント系全学連が60年安保闘争の檜舞台に踊り出てく ることに認められます。その闘いぶりは世界中にゼンガクレンとして知られるこ とになりました。この渦中で、民青同系は遂にブント系全学連と袂を分かつことになります。こうして学生運動の二分裂化傾向がこの時より始まることになりました。
座の一同  ・・・・・
れんだいこ  2.6日、旧所感派指導幹部で宮顕系党中央に批判的であった長谷川浩が学生対策部長から引き下げられ、袴田がこれに替わっています。国際派の流れを汲むとされているブントから見ますとたいしたことでは有りませんが、れんだいこから見てちょっとした事件です。どういうことかと云いますと、徳球の薫陶を受けた俊英が最後的に一掃されたということになります。

 してみれば、この頃の動きは、階級情勢をブントが意図的に左傾化させ、日共が意図的に右傾化させていっているという構図になるかと思われます。
ト書き  座の一堂少々キョトンとした様子。
れんだいこ  さて、社学同に篠原―藤原コンビが誕生します。
 2.9日、社学同第5回全国大会が開かれ、「ブントの主要メンバーが羽田闘争で不在となったための体制建て直しの一環として、社学同のメンバーも交代することになり、篠原委員長、藤原書記長、そして私(山田恭*)が副委員長として大瀬振さんから引き継ぐことが決まった」(山田恭*・東大駒場細胞)。
れんだいこ  全学連第22中委が開かれますが、羽田1.16闘争の評価を廻って対立します。
再来生田  2.28−29日、全学連第22中委が開かれている。羽田1.16闘争の評価を基礎に今後の安保闘争の展望をめぐって論争が為され、全学連ブント指導部は、「羽田闘争は支配階級の徹底した弾圧を受けたが、このことは一層強力な実力的大衆行動のみが、支配の攻撃を粉砕できることを明らかにした」と総括し、「批准阻止闘争と4月ゼネスト準備」を呼びかけた。

 
これに対し、革共同派は、羽田闘争を一揆主義的盲動主義と批判し、生産点における労働者の決起を対置した対案を提出し、論争となった。民青同派は、全学連の極左的戦術方針が秩序ある行動の盛り上げにマイナスになっていると批判し、この観点から羽田闘争の意義を否定した。

 
我々はこの時、1.16日の羽田闘争のボイコットに対する責任追及として、革共同関西派中執の8名(徳江ら)を罷免する動議を突如出し、61対38で可決した。闘い抜く為には止むを得なかった。

 こうして革共同関西派が暴力的に罷免され、中執はブントによって制圧された。この時点での全学連内部の勢力比は、ブント72、民青同22、革共同関西派16、その他革共同全国委・学民協とされる。
れんだいこ

 ここで少し民青同内の変化について見ておきます。どうでも良いことのようですが、ブントの闘い振りが影響を及ぼした例証として見れば興味深いです。もっとも又もやここでも宮顕が悪さしております。

 3.2−3日、「第7回党大会第9回中委総」が開かれ、「民主青年同盟の拡大強化のために」の決議を採択しています。この決議の採択経過は分かりませんが、民青同中央が穏健路線からの脱皮を模索しようとしていた風があります。民青同の良質部分の動きと捉えた方が判りやすい。恐らく長谷川浩らの影響があったように思われます。

 
この「9中委総決議」は次のように述べています。

 「それまでの宮顕−袴田等の『市民的民主主義』 論や西沢隆二らの『歌え、踊れのサークル化傾向』を打破し、同盟の新しい組織論・運動論を確立する基礎を築き、民青同の拡大強化のための新しい方針を決定し飛躍的発展を助けることになった」。

 この流れを説明しますと、宮顕は、先の第6回大会で方針に自ら筆を入れ、 青年同盟を「階級的立場の同盟ではなく、市民的民主主義を追求する民主的組織」とし、同盟の性格を「人民の民主主義的課題のために闘う」とあったのを 「労働者階級を中心とする人民の民主主義の立場に立つ」と玉虫色としておりました。「第7回党大会第9回中委総」は、その玉虫色規定をやや左傾化させようとしていたことに値打ちがあります。

 
ところが、この民青同中央が作成したよびかけと規約をめぐって、またしても宮顕書記長が介入します。宮顕は、民青同に対して、1.社会主義を目指して闘うことを強調するのは間違いである。民族解放の課題を強調すべきであるとし、「階級的矛盾は民族的矛盾に従属する」と強弁してはばからなかった。2.「マルクス・レーニン主義を学ぶ」という項目は、党の独自活動でやるべきで、同盟自身の性格にすればはばが狭くなるから掲げない。3.民青同中央が、「党の導きを受ける」と党と同盟の関係を明らかにした上で、同盟の自主性を強調したのに対し、それでは事実上共産青年同盟化するからとそれに反対した。

 一体全体この御仁は、戦前戦後今日まで何をするために党に鎮座 しているんだろう、とれんだいこは思います。こういう御仁が「無謬神話」されているトリックこそ早急に解明すべきではないでせうか。


【全学連第15回臨時大会】
れんだいこ  全学連第15回臨時大会が開かれ、各派入り乱れての激突の場となります。
再来生田

 「全学連第15回臨時大会」が品川公会堂で開かれました。先の羽田闘争での逮捕からの保釈を待って開催された。大会はのっけから、全学連主流派と民青同系、革共同関西派系との間の深刻な対立で始まった。代議員の色分けは、主流派が約270名、反主流派が約230名だったと言われている。いわば真っ二つに割れる拮抗関係になっていた。

 全学連中執は、民青同系の東京教育大、早大文学部などの代議員に「加盟費未納」を理由に資格を取り消し、入場を実力阻止した。これに抗議した民青同系、これに革共同関西派も加わり衝突が引き起こされた。こうして開会前から会場外で乱闘が始まった。つまり、のっけから代議員資格をめぐり主流派と反主流派が対立した。

 「国会突入、羽田闘争を中心とした全学連の行動」を廻っての総括と今後の闘争方針を決める非常に重要な大会でした。我々の闘いの価値を否定する反対派との間にはもはや意思一致は不能であると読み取りました。連中は既にことごとく足を引っ張る役を意図的に演じてきており、不倶戴天の敵という関係に入っておりました。そういう判断から彼らを排除する作戦を取りました。情勢の緊迫がそれを余儀なくさせたと理解してもらえれば有り難い。
れんだいこ  こうして、民青同系と革共同関西派の反主流派の代議員231名(川上徹「学生運動」では代議員234名)を会場外に閉め出した中で、大会を強行しました。会場内の中の主流派代議員261名(代議員は181名)であったと云われておりますので、勢力伯仲ということですね。

 この大会開催に先立っての会場付近での主流派対反主流派の衝突は、反主流派の代議員231名をして大会ボイコット→独自集会を結果させ、後の全学連分裂を準備させることになりました。

 
してみれば、この大会は学生運動至上汚点を残したことになります。意見の違いを暴力で解決することと、少数派が多数派を閉め出したことにおいて、悪しき先例を作った訳です。この時点では、全学連主流ブント派は、明日は我が身になるなどとは夢にも思っていなかったと思われますが、左翼運動の内部規律問題として、本来この辺りをもっと究明すべきと思われますが、こういう肝心な点について考察されたものに出会ったことがありませんね。
再来生田  「60年安保とブントを読む」の中で、星宮が次のように指摘しています。
 「全学連という学生大衆組織において、各自治会組織の代表である代議員、評議員の大会出席を排除したのは決定的な誤りであったと思う」。
 「組織内に『自由と民主主義』が小さくなっていくと、その組織は必ず知的閉塞をきたし衰弱してゆくものである。大衆組織の私物化とセクト化は、必然的に運動の衰退と消滅をもたらす」。
れんだいこ  実際には、やるかやられるかのどちらかを強権的に選択する以外に無かったということでせうか。
 そうです。

 全学連第15回臨時大会は、全学連におけるブントの主導権を固め、「国会突入、羽田闘争を中心とした全学連の行動はまったく正しい」と評価し、「安保批准阻止闘争の勝利をめざして4月労学ゼネストを断乎成功させよう、岸帝国主義内閣を打倒しよう」と宣言した。かくて、「全学連主流派の全国的規模での安保改定阻止・岸内閣打倒の最後の意思統一としての決起大会」となった。

 人事は、委員長・唐牛(北大)を再選し、副委員長・加藤昇(早大)、糠谷秀剛(東大)、書記長・清水丈夫(東大)を選出した。大会は、「左翼的拠点を固めよ」と呼号し、当面のスケジュールを国民会議の第14次.15次統一行動にあわせ、4.15日に国会請願デモ、20日に全国ストライキ、「4.26日に全国ゼネストと国会デモ」等の方針を決定した。特に4.26日を「全学連の運命をかけて闘う」と決定した。

 この時私が挨拶に立ち、渾身の力を込めてブントの安保闘争への決意を表明しました。

【安保情勢の流動化】
れんだいこ

 この頃から日共の安保闘争の取り組みも加速して参ります。ここまでは何とかしてルーチンな政治闘争の儀式で終わらせようとしていた。しかしブントが創りだしつつある流れが奔流化し始め、バスに乗り遅れると見たのではないでせうか。

 この頃の動きは次の通りです。3.10日、アカハタの主張で、アイゼンハワーの来日反対闘争を提起。3.17日、三池労組が分裂し、第二組合作られる。3.23−24日、社会党臨時大会が開かれ、委員長に浅沼稲次郎を選出。3.28日、三井鉱山生産再開、第一組合と流血の激突。3.29日、三池闘争、第一組合員久保清が暴力団員に刺殺される。
ト書き

 この頃、三井三池闘争も熾烈さを増す。

 この頃ブントが事務所を神田神保町に移りました。1階は香村正雄氏経営のリベラシオン社で、香村正雄氏の斡旋によりました。4.10日、党港地区委員会がブントに結集して来ました。常木ら労対グループのオルグ活動の成果でした。こうして次第に労働者グループ形成も進んで参りました。闘う者にのみやってくる僥倖だろうと手ごたえを感じましたね。
れんだいこ

 4.5−9日、日共の「第10回中総」が開かれ、「三井三池労働者の英雄的闘争の勝利のために全民主勢力の奮起を訴える」を採択。全国の党組織に三池闘争への取り組みを指示しております。

生田J  この頃「三池の闘いは安保闘争を支え、安保闘争に包まれて三池の闘いは進む」といわれる事態がうまれつつあった。日共系も含め延べ数千の活動家が現地に派遣され、支援体制を執りました。 
れんだいこ  4.17日、日共主催で、日比谷野外音楽堂で「新安保条約批准阻止総決起大会」が開かれます。日共の60年安保闘争はこの時点から号令一下本格的に稼働したとみなすべきでせうね。総評・社会党・ 全学連による運動の盛り上がりを見て参入したというのが史実であることを確認しておきたいと思います。

 日共の取り組みの遅れは、それまでの党中央の方針と指導にあったと思われます。この時期の党中央の方針と指導は、安保闘争全体を民族闘争の枠に限定付けており、これを国内支配権力である日本独占資本との階級闘争との絡みで岸政府打倒をターゲットとするという政治闘争としての位置づけを避けていた風があます。

 この結果、安保闘争を労働者のヘゲモニーのもとに政治的危機に盛り上げていくような基本方向が棚上げされ、綱領路線に基づく反米闘争的位置づけで安保破棄を掲げ、 しかも当面は安保破棄を直接の目標にせず、むしろ「民族民主革命」に向けた 「民族民主統一戦線」を形成させることを地道に目標とすべきだとしていました。

 そういう位置づけからして、できるだけ広範な人民層の参加をうるためにという口実で統一戦線の基準を幅広主義で結集させ、闘争戦術も学生や青年労働者の全てを最低次元の統一行動に規制していこうとする整然たる行動方式を指針させます。つまり、安保闘争を何とかして通常のスケジュール闘争の枠内に治めようとしていた観があり、国会突入を視野に入れるブント的指導との両極端にあったというのが実際だと思います。

 とはいえ、党がひとたび動き始めると行動力も果敢で、この時期より全国1700共闘組織の64%まで正式加入してたちまち指導権を強めていくことになりました。党は、中央段階ではオブザーバーでしたが、地方の共闘組織では社会党と並んで中心的位置を占め指導的役割を果たしていくことになった。しかし、日共の指導する統一戦線型の幅広行動主義によるカンパニア主義と整然デモ行動方式が、戦闘的な学生・青年・労働者の行動と次第に対立を激化させます。
 日共式「国会請願デモ」に対して、我々は「お焼香デモ」・「葬式デモ」の痛罵を浴びせました。それは欺瞞以外の何ものでもないという認識でした。
れんだいこ  統一戦線の基準を幅広主義で結集させる遣り方は、宮顕のペテン論理であり、結局何も出来ない方向へ薄められることしか結果しませんよね。
 4月からは全国の地域安保共闘組織を総動員して、波状的な「国会請願デモ」が開始された。
生田J  この頃、清水幾太郎らの呼びかけがなされている。清水氏寄稿「世界5月号『今こそ国会へ−請願のすすめ』」は、次のように檄を飛ばしております。
 概要「今こそ国会へ行こう。北は北海道から、南は九州から、手に一枚の請願書を携えた日本人の群が東京へ集まって、国会議事堂を幾重にも取り巻いたら、また、その行列が尽きることを知らなかったら、そこに、何ものにも抗し得ない政治的実力が生まれてくる。それは新安保条約の批准を阻止し、日本の議会政治を政道に立ち戻らせるで有ろう」。
 4.15日、安保改定阻止第15次統一行動。全学連約1500名が地下鉄議事堂前駅から請願デモに移ったが、機動隊に阻まれ、特許庁下まで押し返されている。
れんだいこ

 4.16日、革共同全国委は、ブントの学生組織の社学同に対抗する形で自前の学生組織として「マルクス主義学生同盟(マル学同)」を組織し、機関紙「スパルタクス」を発刊しました。この発足当時5百余の同盟員だったと云われています。マル学同は、民青同を「右翼的」とし、ブントを「左翼空論主義的傾向」、「街頭極左主義」として批判しつつ学生を中心に組織を拡大していきましたね。 

 4.19日、南朝鮮ソウルで、「李承晩政府打倒」を要求する人民蜂起が起こっている。戦いの火蓋を切ったのは学生たちであったが、蜂起は燎原の火のように全土に広がった。

 4.20日、全学連反主流派13自治会が声明を出し、全学連中執の単独国会デモ闘争を非難し、国民会議・青年学生共闘会議の下に行動するよう呼びかけ、組織的な対抗を行った。

ト書き  4.20日、東大教授ら353名、安保反対の声明。

【ブント第4回大会開催、安保闘争総力戦宣言】
れんだいこ  ブントの第4回大会が開かれ、島書記長の記念碑的な「3千名蜂起説」がぶたれます。
再来生田

 4.24日、ブントの第4回大会が開かれ、この時島氏の書記長報告がなされた。「3千名蜂起説」、「安保をつぶすか、ブントがつぶれるか」、「虎は死んで皮を残す、ブントは死んで名を残す」と後年言われる演説がぶたれました。

 「3千名蜂起説」とは、「大衆のエネルギーが爆発した時、3000名の武装した革命家が領導すれば、権力獲得は不可能ではない」と述べたことを云います。これで仮にブントが潰れても、もしこの闘いをやりぬけたら、その闘いは必ずブントを超える新しい革命党を生み出す契機となるだろうし、この契機を見送るようなブントに未来を切り開くことは到底覚束ないだろう。

 安保闘争はこのまま終わらない。5.26日が通常国会の期限だ。自民党の強行突破の試みには社会党は必ず国会審議でもみ合う。押さえ込まれた労働者や知識人の鬱積したエネルギーがもう一度激しく高まるときが必ずやってくる。その時へ向かってブントが全てを挙げて行動を組織できれば、これまでにない大衆運動によって状況を政治危機に追い込む可能性があるとの見通しを述べました。
れんだいこ  この大会に労働者グループが参加し始めていることが注目されますね。
再来生田  党の港地区委員会が臨時地区党会議を開き、ブントとの合流を正式に決定、地区委員会の解散を決議している。この流れをリードした山崎衛委員長・田川和夫副委員長の両地区委員はこれより早く党から除名されています(「アカハタ」59.12.16)。他に、三菱長崎造船、大阪中電の元及び現役党員らが少数ながら参加していた。
れんだいこ  ブントのこの動きに合わせるかのように民青同の全学連からの分裂が決定的になっています。4.25日、民青同系全学連反主流派は、まず東京都において「東京都学生自治会連絡会議」(都自連)を発足させている。以降民青同系は、60年安保闘争を「都自連」の指導により運動を起こすようになり、安保改定阻止国民会議の方針に従い、統一戦線を守ることを宣言し、全学連指導部を挑発的と批判し、「単独国会デモ」に反対していくことになりました。

 この経過は民青同系指導部の独自の判断であったのか疑問があります。ズバリ云えば宮顕の指示に拠ったものだと思われます。この時全学連運動内部の亀裂は深い訳だから、非和解的な運動スタイルの違いを原因とするのならもっと早く自前の運動を起こすべきであったでせうが、60年安保闘争がピークに向かうこの時に分裂策動を起こします。こういうことをこそ総括しておく必要があると思われますね。


 これより後は「安保闘争坩堝と化していく」に記す。





(私論.私見)