場面6 59.11.27日【全学連ら労.学2万数千名が国会突入】考

 (最新見直し2007.7.18日)

 これより前は「59年ブントの歩み」に記す。

【ブントが国会突入】
れんだいこ  10.30日の安保改定阻止統一行動で、全学連は都内に約1万5000名を結集しました。なかなか点火しなかった安保闘争が一挙に活性化する局面を迎えます。11.27日の国会突入が起爆剤になりました。この時のブント指導者としての島さんの心境をお聞かせください。
 この時期より、「安保が倒れるか、ブントが倒れるか」と公言しつつ安保闘争に組織的命運を賭けていくことになりました。「戦後史の証言ブント」の中でも書いておりますが、「日本左派運動の極限まで突っ走って見たい、我々は歴史の中にそうした運動を刻んでおく経験を持つ必要がある」と考えておりました。それは悩んだ末の結論でした。

 再三の逡巡の末、私はこの安保闘争に生まれだばかりのブントの力を全てぶち込んで闘うことを心に決めました。「闘いの中で争いを昇華させ、より高次の人間解放、社会変革の道を拓くかが前衛党の試金石になる」と思った訳です。
れんだいこ  革命の弁証法に委ねるということですね。れんだいこはそれで良いと思いますね。もっとも、かなりアナーキーな発想ですよね。アナーキー精神の善し悪しは私には分かりません。対極的なものにロゴス精神があると考えられますが、アナーキー精神とロゴス的整合精神(物事に見通しと順序を立てて合理的に処そうとする精神)は極限期になればなるほど分岐する二つの傾向として立ち現れますね。結局、気質によってどちらかを二者択一せざるをえないことになるように思われます。未だ決着のつかない難題として屹立しているようにも思われますね。

 ところが、60年安保闘争後、このアナーキー精神がブントの弱さとして叩かれることになります。主として革共同が頻りにここを突くわけですが、残念ながらブントの方から論駁し得なかった。その様は見てきたところです。
ト書き  島氏が何か云おうとするが言葉にならない。座の一堂苦悶の表情を見せる。

【全学連ら労.学2万数千名が国会突入】
れんだいこ

 11. 27日、第8次統一行動。合化労連.炭労の24時間ストを中心に全国で数百万の大衆が行動に立ち上がります。東京には事前動員計画通リ8万名が結集しました。この時の国会デモで、全学連5000名の学生らによる国会乱入事件が発生しました。

 山中明・氏の「戦後学生運動史」には次のように記されています。

 「夕闇迫る国会議事堂の前庭は林立する組合旗.自治会旗で埋まり、シュプレヒ.コールは国会議事堂を揺さぶった」。

 この国会突入は組織的計画的なものだったのですか。それとも偶発というか勢いあまっての結果なんでせうか。

 当時の我々は、国会突入を射程に入れていたのは事実です。しかし、隙があればという程度で目的意識的なものではなかったですね。
再来生田

 8万名の大デモで国会を包囲した興奮が引き起こしたように思います。地評の宣伝カーが、「請願の目的は果たされたから解散しよう」と繰り返し呼びかけていました。この日5000名の警官が動員されて装甲車、トラック等でデモ隊を規制していましたが、この時逆に『国会へ突っ込もう』と云う気分が自然発生的に湧き上がりました。

 全学連5000名が、都教組(港教組)を先頭とする労働者と共に、正門前を固める警官隊に向かって突進し、警備の壁を突き破って初めて国会構内に突入しました。その後抗議集会を続行し、全学連指導部は労働組合の宣伝カーに乗り込みアジりまくりました。構内はデモとシュプレヒコールで渦巻きました。

れんだいこ  圧巻だったでせうね。ところが総評、社会党、共産党のお偉方がやってくる。
再来生田  岩井総評事務局長.浅沼稲次郎社会党書記長がやって来て、宣伝カーから「(構内から)とにかく出てくれ」と、流れ解散を呼び掛けますが、約三万余の群衆は動かない。共産党議員(野坂.志賀.神山)も「挑発に乗らず退去しよう」などと説得するのですが、我々はそれを拒否して6時過ぎまで座り込みを続けました。清水丈夫全学連書記長が車上に上がり発言待ちしたが、マイクが渡されず、遂にマイクを手にしたときは電源が切られました。「両手を口に当てて話すしかなかった」(小野正春証言)のですが、余計に我々を怒らせました。 
れんだいこ  「総評、社会党、日共の正体見たり枯れ尾花」でせうね。徳球オヤジが生きていたら、こういう指導はしなかったでせうね。
再来生田  たまりかねた社会党と共産党の国会議員団が同5時40分頃、正面玄関前の階段にズラリと顔を揃え、浅沼書記長が「解散して貰いたい」とだみ声で叫んだが、全学連の学生の間からは「反対、反対」の声ばかり。浅沼さんの発声で「安保改定阻止バンザイ」をやったが、誰も唱和しない。議員団がスゴスゴと引き上げた後、6時頃から腰を挙げて防衛庁へ向かいました。こうして約5時間にわたって国会玄関前広場がデモ隊によって占拠されました。
 これがブント運動の最初の金字塔となった。「この闘いと共にブントは大衆の面前に踊り出た」、「この日を期してブントが安保闘争に組織を賭け突入した」ことを確認しました。
れんだいこ  朝日新聞編集委員の高木正幸氏は、「新左翼二十年史」で「11.27日国会突入は、ブント安保全学連が打ち立てた最初の金字塔」と讃辞しています。が、高桑末秀氏なぞは、「全学連の行動は確かに滅茶苦茶であった。しかし今まで大衆運動の先頭に立っていたのは常に全学連だった」というようなヌエ的な評価をしておりますね。
 同じ事をどう見るのかそれは各人の自由でせう。私ははっきりブントのらしさが出た緒戦の圧勝であったと評価しております。生田のこの時の喜びようが目に焼き付いておりますが、「この日、生田は人々と共に、議事堂の正面階段で喜色満面、手を叩き躍り上がって興奮していたのだ」と記している通りです。我々は、ブントの印刷所で初めて刷ったビラを現場で配りました。

 次のように確認しました。
 「このデモを可能にし、労働者の力を引き出したその先頭には、勇敢な全学連の学生がいたのだ。そして、この学生と一部労働者の先頭には、すでに一年前あらゆる既成政党と縁を切り、前衛の旗を掲げて進んできた、我が共産主義者同盟が立っていたのである。この日の闘いは、かくて既成指導部の総退却の場を見た労働者が、同時にこれに代わってこの闘いの先頭に立って闘う激しい前衛部隊、我がブントを公然と見出す最初の機会を創りだしたのである」。

 書き記している通りです。我々はそのように総括しております。
 
ト書き  11.28日、政府は緊急会議を開き、「国会の権威を汚す有史以来の暴挙である」と政府声明を発表し、全学連を批判すると同時に弾圧を指示した。
生田J  全学連書記局の責任が問われ、清水書記長、糠谷・加藤副委員長、葉山岳夫らに逮捕状が出され、早朝寝込みが襲われました。

 この時検挙を免れた清水丈夫と葉山岳夫は、全学連書記局の指示に従い東大の駒場寮内に籠城します。大学の自治がありますので、警察も容易には踏み込めない。中垣行博は次のように証言しております。
 「警察が踏み込むかどうかでマスコミは連日報道し、寮内も騒然とした状態となった」。
れんだいこ  国会突入に対してジャーナリズムは各社とも一斉に批判しましたね。
 翌11.28日付けの新聞各紙の見出しは、一面トップで「デモ隊、国会構内へ乱入」(朝日)、「デモ隊、国会構内にナダレ込む」(読売)、「請願デモ、国会なだれ込み」(毎日)と報じた。朝日は「常軌を逸した行為」と非難し、読売は「陳情に名を借りた暴力」とののしった。

【左派陣営の反応】
れんだいこ  「ジャーナリスト緊急集会アピール」は好意的ですね。
再来生田  11.28日付けの「ジャーナリスト緊急集会アピール」は、次のように述べている。
 「今回の請願デモが政府の予想や、主催者の予想さえも上回る盛大な集会となったことは、日本国民の間に安保改定阻止の世論が急速に高まっていることを示すものであり、今回のデモの最大の意味もまさにそこにある、と我々は考えるものである。この事実の前には、多少のいわゆる『混乱』があったとしてもそれは主要な側面ではない。ところが現状は政府与党ばかりか民主勢力の一部までもこのデモが国会構内に突入したことを大げさに非難し、そこに重要な問題があるかのように論議されている。本末転倒もはなはだしい」云々。
れんだいこ  国民会議・社会党・総評は、突入デモ隊を非難し、全学連に自己批判を要求していますね。
 11.28日、国民会議は全学連に対して自己批判を要求してきました。30日に開かれた幹事会は、全学連の国民会議からの離脱を求めるという社共両党の申し入れを検討しています。但し審議の結果、「これまで通り統一行動に含めていく」ことを決定した。

 ところが、12.3日、総評の共闘会議、国民会議の幹事会、社会党の執行委員会が開かれ、国民会議では、日共が音頭を取って社会党を巻き込み、「全学連との共闘での国会デモやるな論」を執拗に主張した。
れんだいこ  日共党中央はどのように反応したのでせう。
**氏  日共の反応は早いし、一番はっきりしている。
ト書き  座の一堂一斉に笑う。
再来生田  日共は、翌日常任幹部会声明「挑発行動で統一行動の分裂をはかった極左・トロツキストたちの行動を粉砕せよ」を掲載し、ただちに事件を非難する声明を発した。突入デモ隊を非難し、これを専ら反共・極左冒険のトロツキストの挑発行動とみなしていた。アカハタ号外を出し全都にばらまいた。

 その時の文面は次の通り。
 概要「全学連指導部は、トロツキストが多数を占めており、民主運動の中に潜り込んでいる陰謀的な挑発者集団であり」、「反共と極左冒険的行動を主張していたトロツキストたちは、右翼の暴行や警官の弾圧などによって緊張した状況を逆用して挑発的行動にいで、統一行為を乱す行為に出た」。
 「自民党、岸内閣は、あらかじめこのようなことを計算に入れていた、だから彼らはこの状況を逸早く利用して、一挙に反動的宣伝と弾圧の強化に乗り出してきた」云々。
れんだいこ  典型的な宮顕話法ですね。
再来生田

 以降連日、「トロツキスト集団全学連」の挑発行動を攻撃していくこととなります。

 概要「トロツキストが挑発的な極左冒険主義をもって民主運動の統一行動の統制を破壊し、それによって反動勢力に対して民主運動全体に対する中傷と弾圧の口実を与えるようなことに対して断じてこう手傍観してはならない」、「共産主義者同盟とか社会主義学生同盟に巣食うトロツキスト集団に対しては、彼らが学生であると否とに関わらず、民主陣営からの追放のために闘わなくてはならない」云々。
れんだいこ  あまりのえげつなさに、当時党中央の指導に服していた全学連反主流派の指導者黒羽純久をして、「これは何ものかが共産党の名入りでデッチあげた怪文書である」とさえ感じさせるものであった、と伝えられていますね。
再来生田

 この声明に対して、共産党港地区委員会は中央に抗議声明を発し、27日の全学連デモを支持しております。都議員団はじめ多くの党組織からも全学連事務所に激励のメッセージが寄せられました。

れんだいこ  この当時は今みたいに馬鹿ばかりでは無いということですね。

 中国の中国人民世界平和保衛委員会は好意的に論評していました。次のような挨拶を総評に送っている。

 「日本の安保阻止第8次統一行動は、日本人民の闘争のたかまりを示しており、日本軍国主義の復活に反対し、米日軍事同盟に反対する日本人民の意思を力強く表明している」(12.1日北京放送)と伝えております。また、中華全国総工会も「第8次統一行動の中で示した勇敢な、そして団結の精神に対して敬意を表する」。
れんだいこ  それがごく普通というか当たり前の論評だと思いますがね。
 「・・・・・」。
れんだいこ  さて、全学連各派の受け止め方を見ておきませう。まずは民青同です。
れんだいこ  民青は、次のように総括 している。
 「自民党は、この事件以降、絶好の反撃の口実を与えられ、ジャーナリズムを利用しながら国民会議の非難の大宣伝を開始した。総評・社会党の中には、統一行動そのものに消極的行動になる傾向すら生まれたのである。運動が高揚期にあるだけに、一時的、局部的な敵味方の『力関係』だけで、戦術を決め、行動形態を決めることが、闘いの長期的見通しの中で、どういう結果を生むか、という深刻な教訓を残した」(川上徹「学生運動」)。

 今日でも川上さんが同じような総括するのかどうか分かりませんが、れんだいこにはおかしな総括の仕方であるように思われます。一つはブントに対する「為にする批判」でしかありませんね。一つは運動の経過には高揚期と沈静期が交差して行くものであり、全体としての関連無しにこの時点での一時的後退をのみ部分的総括していることに対する反動性です。事実、翌60年より安保闘争がるつぼ化することを思えば、この時点での一時的沈静化を強調し抜 く姿勢はフェアではないですね。後一つは、それでは自分たちの運動が何をなしえたのかという主体的な内省のない態度が問題でせう。大人びた物言いする割には中身が無いのが特徴です。

 60年安保闘争後ブントは基本的に散ります。ならば、どう闘いを組織し、どこに向かえば良かったのだろう。このような総括なしにブント的闘争を批判する精神は生産的でないでせう。実際このような批判を行う川上氏らが民青同系学生運動を指導して如何なる70年安保闘争を闘うことになったのか。川上氏らはこの時のブントにまさる何かを創造しえたのだろうか。つつがなく70年安保が終えて、後は自身が査問されていく例の事件へ辿り着いただけではなかったのか。それを思えば、「恣意的な批判の愚」は慎まねばならない、いずれ自身に降りかかってきたとき自縛となる、と私は思う。

 ある意味で、ブント系学生運動と日本共産党の指導する民青系の運動は、いわば気質的な差でもあったと思われますね。ブントは、どんな闘争でも正面から立ち向かい、決定的な勝利を求めてトントンまで闘おうとします。が、民青にとっては、闘争は勢力拡大のチャンスとして利用するものでしかない。一言でいえば急進主義と穏和主義の気質の差でせうね。

 民青の「挑発に乗るな」とか「敵を利する」という口実は闘う者に敵対していく手法は、宮顕直伝のそれであり、時代が下るにつれて病膏肓に入ります。
ト書き  座の一堂一瞬ざわつく。
れんだいこ  革共同はどう対応したか。関西派と黒寛派に違いがありますね。
 革共同関西派の徳江和雄全学連中執ほか10名の中央執行委員は、12.6日、「11.27闘争と今後の方針」という声明を出して、社共.総評の議会主義的見地からの批判を非難し、他方でブントの国会突入をも批判している。
れんだいこ  革共同黒寛派はどう対応したのでせうね。残念ながら手元に資料がありません。
**氏

 革共同も、「国会包囲.国会乱入戦術の反労働者的、欺瞞.犯罪的役割をバクロせよ」、「労働者と切り離された学生の国会乱入、極左戦術と闘え」と、全学連のブント指導を批判した。

れんだいこ  そうですか。もっとも後の経過から見て、黒寛と本多氏との間で見解が異なっていた可能性が強いですね。

【その後の失速】
れんだいこ  その後一時期、ブント全学連の急進主義が批判され、混迷を深めていくことになります。
再来生田

 12.10日、国民会議の第9次統一行動は、国会デモを中止した。全学連は、1万5000名を結集し再度国会包囲デモを企画したが、社共両党・総評が戦術ダウンをし始めていたこともあって、今度は分厚い警官隊の壁の前に破れた。

れんだいこ  してみれば、全学連はまさに孤高の急進主義運動を担っていたことになりますね。こうも右から左から掣肘されては動きがとりにくいですよね。 
 この日、11.27闘争の指導者として12.1日に逮捕状が出され、当局の追及と闘い東大に孤城を続けていた清水全学連書記長、葉山都学連執行委員がデモの先頭に立ち、日比谷公園に向かうところを逮捕された。
れんだいこ  この後暫く安保闘争は鳴りを潜めることになるようですね。
 12.11日、三井三池、争議突入。12.16日、最高裁が伊達判決の破棄を言い渡した。アメリカの軍事基地に反対し、その闘争に参加する者を犯罪者とみなすという政治的裁判であった。
れんだいこ  12.16日、岸内閣は安保調印の全権団派遣を閣議決定します。これにどう対応するのかで、ドラマが待ち受けていました。ところでこの頃、宮顕がイタリア共産党8回大会に招待されイタリアを訪問します。宮顕はトリアッテイ報告を修正主義として二日目から市内見物しております。市内見物が悪いというのでは決して有りませんが、その姿勢はスパイ特有の腐敗ぶりでせう。
 12.23日、党港地区委員会が党内闘争宣言。 
再来生田  12.25日、安保国民会議全国代表者会議が開催され、翌年1.16日の岸首相の安保改定調印外交に対する取り組みを廻って議論した。地評代表のいくつかは「調印阻止闘争無しに、安保闘争はありえない。ゼネストを基礎に羽田実力阻止」を主張したが、総評が強硬に反対し、日共もこれを支持した。結局、羽田動員中止方針が12.26日の幹事会で決められた。
れんだいこ  日共が盛り上がりの火消しに興じていることが判明しますね。この時太田総評議長は「宮顕だけには話がついている」と語っていますね。こうしたことも興味深い史実です。

 これより後は「岸訪米阻止羽田闘争」に記す。





(私論.私見)