第一次ブント運動左派ルネサンス考

 (最新見直し2005.10.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「60年安保闘争」がなぜ見直されねばならないか。答えははっきりしている。左派運動が「攻勢的に」政界を揺るがし勝利した稀有な例となっており、あれから40数年未だにこの時の闘いを越えるものが生み出されていないからである。もう一つ顕著な理由がある。「60年安保闘争」は、いわば左派運動のルネサンスであった。戦前戦後を通じて唯一の「左派が開放系運動を展開しえた時期」であった。学ぶべし、学ぶべしであろう。惜しむらくは、このような観点を持ち得た者は極く少数で、史実はブント運動を散らかした後にも「60年安保闘争」の快挙感覚を持とうとしない凡庸な輩がその後の左派運動を継承してきたことを物語っている。

 その「60年安保」を領導したのは島成郎を書記長とする結成されたばかりのブントのうら若き面々であった。これからブントの形成過程を検証していくが、まさに「時代が人を生み出し、情況が人を練った」と云える。六全協後とめどなく進行していく日共の右傾化と統制化に抗して、革共同が生まれ、追ってブントが後を追う。この三者三様絵巻が60年安保闘争の質を規定している。突出したのはブントであり、時代を領導したのもブントであった。ここにブントの底力があった。

 今れんだいこは、「60年安保闘争」を「左派運動が攻勢的に政界を揺るがし勝利した稀有な例」と記した。ところが史実は、これを敗北とみなして四分五裂していくことになる。というか「60年安保」を担った面々がブントの解体に内から外から呼応し共同していった。そんな馬鹿なと思うがこれが史実である。

 とはいえそう疑問視するのは今日だから見えてくることであって、当時の者達にあっては無我夢中で、ブントの解体は必然であったのかも知れない。島さんが生きておれば、その辺りを質したかった。が、今や叶わない。残念遅まきではあるが、生存中に確かめたかったれんだいこの第一次ブント観を以下世に問うことで鬱憤を晴らしたい。

 2004.5.24日再編集 れんだいこ拝


目次

れんだいこの第一次ブント論
諸氏の第一次ブント論
「トロツキズム運動の誕生過程、分裂過程考」
別章【「ブント運動の誕生―隆盛―分裂過程考(通史篇)」
別章【「ブント運動の誕生―隆盛―分裂過程考(戯曲篇)」
第1次ブント理論考
ブントと革共同の差異の深淵考
島書記長論
生田浩二論、山口一理(佐伯秀光)論
青木昌彦「私の履歴書」とそれへの反論考
唐牛委員長論
当時の学生活動家の処分と温情措置風聞
第1次ブント擁護派知識人考
補足・第一次ブント資料
補足・不破論文・日共のトロツキズム批判
さらぎ徳二論
「新左翼イデオローグの宮顕との親疎性」について
インターネットサイト
参考文献
情報ストック




(私論.私見)