痛く、つらく、恐ろしい本でした。自分のブログにも書きましたが、私の想像をはるかに越えた惨劇だったことがよくわかります。あの「日航機墜落事故」。坂本九さん、北原瑶子さん、阪神の社長さんだかも乗っておられたあの、123便が、群馬の御巣鷹山に落ちたのは、私が15才の時。夏の暑い頃でした。ニュースをみて驚いているところに、連絡網が回ってきて「〇ちゃんのお父さんがあの飛行機に乗ってたんだって!」。数日後、お葬式に参列しましたが、もちろん声をかけることなどできませんでした。でも、その時は、私は彼女のお父さんが、棺の中で静かに横たわっているのだと思っていました。昨夜、この本を読んで、愕然としました。まともな体で戻ってきた遺体などないことに。作者は、当時、群馬の警察に勤務していた方で、遺体検死担当をされていたとのこと。その方のかくリアルな描写。事故の一報が入ったあと、すぐに山の中に入り、村の体育館にビニールシートを敷き詰め、遺体が届いたらすぐに検死できるように準備をされたのですが、慣れている飯塚さんや検死官、医師たちですら想像できなかったほどの地獄のような現実がその後次々とおそってきます。40度を越える、しめきった体育館の中での検死。それも、ある程度人間の形をしていれば分かりやすく早くすむところを、「これはなんだ、木切れか?」・・・中の肉がすべて吹っ飛び、焼けた皮膚だけの状態で木に巻きついていた人間の手でした。「このドッジボールはなんだ?」・・・丁寧に広げていくと、頭部の皮膚が丸まったものでした。スッパリと切断された首。機体に挟まれたままの髪の毛と頭皮。頭部上部が飛ばされ、中の脳髄がすべて外に出た状態のぺたんこの顔。下半身が180度ねじれ、皮1枚でつながっている少女。顔面に眼球が3つあり、よく調べると別の人の顔がクビの後ろからめりこんで重なっていたというものもあったそうです。1体だと思っていた縮こまった死体をひらいていくと2体がくっついたものだったり、お母さんが恐らく子どもを抱きしめた状態で落ちたのか、子どもの顔が母親のお腹にめりこんでいるものもあったとか。指だけのもの。足首だけのもの。頭部のない遺体。皮だけの遺体(あまりにもすごい力がかかると、人間の体はポンと皮だけ残して中身が外へ出るのだそうです・・・)。血液型を調べたくても、落ちた時に体液は流れ出てしまっており、骨などからしか血液成分がとれないため時間がかかる。遺族は怒る。警察・医師・看護婦さんたちは不眠不休で次から次へと運ばれてくる「かつては人間だった」体の一部を検死したり、きれいに拭いてあげたり、縫合したりされている・・・読めば読むほどそのすさまじさに絶句です。遺体と線香と汗の混ざった臭気もすごく(なんと換気扇が壊れていたそうです!)、蛆は通常の2倍に太り、蛆殺しをふりかけてもふりかけても足をはいのぼってくる、遺体からぞろぞろと出てくる・・・中には顔だけの幼児の遺体が、引き取り手のないまま何日も置いておかれ、著者が毎晩その子を撫でながら泣いたというエピソードもありまし(泣)。赤十字などの看護婦さんたちが、現場では一番冷静でテキパキと対処してくれたという話も紹介されていました。ニュースに名前がなくとも、誰よりも尽くした人たちのおかげで、多くの体が家に帰ることができたのだなあと思います。
遺族の方たちの苦しみ、衝撃も、目の前で見ているような感じで伝わってきました。誰もが知っている事故なのに、これほど悲惨な現実をほとんどの人が知らないでいると思います。この本、文庫で手軽なので、ぜひ、読んでほしいと思います。息子にももう少ししたら読ませたいと思います。今、いろいろとゆがんだ日本社会の中で、甘えた自分勝手な人生を送り、簡単に人を殴ったり殺す人たち、仕事もせずブラブラしていたりする大人たち、老人を敬わず子どもの命に優しい目を向けられない人たち、大人をバカにして自分は何も努力しない若者・子ども、自分だけが不幸だと思っている人たち、自分の利益のことしか考えずいばっている人たち、これらすべてを招集してこういう現場を見せたいですし、それを見ても「自分は不幸」だと思い、「生かされている幸せ」に気付けないかと問いたいです。
学校の生活科や道徳の時間に、少しだけでいいから先生の言葉に言い直して、紹介したりしてほしいですね。風化させてほしくない気がします。ネットで現場写真も見ましたが・・・皮だけで木にぶらさがっていたり、血だらけの足だけが言葉もなくころがっていたり・・・これらの前で呆然としている捜査員の姿に心動かされました。足の踏み場もないほどの凄惨な場所です。しかし、あの険しい山奥で、歩くのも危なく困難なところで、4人の生存者を見つけたことは、すばらしい奇跡です。また、遺体か木切れかどうかもわからないようなものを一つひとつ拾われた人たちの努力もすごくて頭がさがりました。「家に、遺族に、帰して(返して)あげたい」という一心だったのだと思います。他にも、日航機事故関係の本を探してこれからいろいろ読んでみたいと思っています。