怪人21面相事件との絡み考 |
更新日/2017(平成29).8.21日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「怪人21面相事件との絡み考」をものしておく。「かい人21面相が暴れ始めた日〜日本初の劇場型犯罪/グリコ・森永事件/勃発」その他参照。 |
【1984年、「怪人21面相事件」発生】 | |||||||||||||||
「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と123便に搭乗したグリコ森永事件の犯人たちの関係が取り沙汰されている。どう絡むのかは諸説あり、はっきりしない。確かなことは、この日奇しくも犯人側からの「終結宣言」が夕刊に出ていたことである。「くいものの会社いびるのもうやめや・・・」との犯行終結文が、わざわざ犯人側から出されている。その相手はハウス食品。そして、123便にハウス食品社長が搭乗し死亡している。なお、ハウス食品は一億円を強要された他に、「ハウスのあほどもにおとしだまやらなならん」と犯人達に激怒され、予告的な脅迫を受け続けていたと思われるところがある。 ここで、グリコ・森永事件を確認しておく。その前に中曽根政権との関係を確認しておく。1982(昭和57).11.27日、中曽根康弘が自民党総裁・内閣総理大臣に就任。 ロナルド・レーガン米大統領と親密な関係作りに成功していた。その中曽根政権全盛期の頃の1984.3.18日、「怪人21面相」によるグリコ事件が発生している。これより1年五ヶ月後の1985.8.12日の日航機事件まで、「怪人21面相」が中曽根政治を嘲笑し続けることになる。 3.18日21時35分頃、拳銃と空気銃を構えた3人組の男が兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に侵入し、息子と入浴中の江崎勝久社長(当時42歳)を拉致し全裸のまま誘拐するという事件が発生した。江崎グリコ社長を拉致・監禁した犯人は、翌日の19日、大阪府高槻市の公衆電話に、身代金として現金10億円と金塊百キログラムを強要するカナタイプの脅迫状を置いたことを通告した。
3.21日14時35分頃、事件3日後、江崎社長が監禁されていた大阪府茨木市の安威川にある水防倉庫から抜け出し、新幹線の車両基地である大阪貨物ターミナル駅構内でに助けを求め保護された。事件が解決したかに見えたが、日本の犯罪史上例を見ない大事件となるグリコ・森永事件(警察庁指定広域重要114号事件)の幕開けに過ぎなかった。 3月22日、各社新聞が江崎社長の拉致・監禁事件を報じ、3人以上の複数の犯人による犯行であり、暴力団、総会屋グループ等が関係している可能性が強いと発表している。 4.2日、4.23日、5.31日に脅迫状届き、警察とのスリリングな取りもの劇が演ぜられた。江崎グリコ本社、関連会社に対する放火事件が相次ぐ。 4月7日、マスコミに1通目の手紙が犯人から届く。 4月10日、大阪市内にあるグリコ本社敷地内にある工場とグリコ栄養食品関連先が放火される。 4.12日、怪人21面相が「警察庁広域重要指定114号事件」に指定された。怪人21面相はダイナマイト等を持っていることを脅迫状で知らせている。 4.22日、犯人からマスコミ宛に挑戦状と呼ばれるようになる手紙「けいさつの あほども え」が届く。犯人は「かい人21面相」と名乗る。
マスコミに「かい人21面相」は挑戦状を幾たびも送ることとなり、大阪弁丸出しの挑戦状がマスコミを通じて公表され、国民がテレビの中で展開する事件を注視する劇場型犯罪化していく。この事件から「劇場型犯罪」という言葉が使われだした。 5.10日、毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、朝日新聞の4社に怪人21面相から3通目の手紙「まづしい けいさつ官たち え」 が届く。「グリコ製品にせいさんソーダを入れた」と告知しており、グリコの経営に大打撃を与える内容が書かれていた。これを受けて大手スーパーがグリコ製品の撤去を始めた。
後段の「グリコをたべて びょう院え いこう」、「グリコを たべて はか場え いこう 」は、1960年代「トリスを飲んでハワイへ行こう」のキャッチフレーズで一世を風靡したサントリーのトリスウイスキーをパロディ化したものではないかとの指摘がある。 5月16日、マスコミ宛ての4回目の手紙「ダイエーの 社長え」 が届く。
このときのダイエーの社長はカリスマの中内功氏である。当時、中内社長はチェーンストア協会で最も力を持っていた。その中内氏に、グリコ製品をスーパーで売ることをスーパー業界全体に働きかけろと要求している。
6.2日、寝屋川事件と呼ばれる出来事が発生する。この頃、怪人21面相は、たびたび江崎グリコを脅迫し現金3億円を要求していた。当日、怪人21面相が指定した場所に3億円を積んだ乗用車を配置し、警察が待っていた。するとある若い男が近づいてきて乗って行った。犯人が運転し堤防に向かったところ、捜査本部の仕掛けで車はエンストし、車中に潜んでいた捜査員に若い男は取り押さえられた。犯人逮捕と色めき歓喜したが、実はその若い男は犯人ではなく、犯人に脅され運転役をさせられていた。その若い男は、川の堤防で車を止め、彼女とデートをしていたが、突然そこへ男が銃身のような物を運転席に押し込んできて、そのカップルを脅し、彼女を別の車で連れ去り、若い彼氏の男に現金を積んでいる車のあるレストランの駐車場に連れて行き、「ファミレスで駐車している白のカローラバンの運転手から車を受け取り、先ほどの堤防まで走って来い」と指示し途中で車を降りた。言うことを聞かないと彼女の命はないと脅され、しかたなく彼氏は指示に従ったというのであった。 6.22日、怪人21面相がグリコ以外の会社にも脅迫を始める。大阪府高槻市の丸大食品に脅迫状が届く。内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。
6.26日、「怪人21面相」からマスコミに5回目の挑戦状「全国のファン の みなさん え」が届き、「江崎グリコゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。
マスコミはこれを終結宣言として報道した。グリコは50億円の損失を出していたが、これによりグリコはスーパーの店舗に復活していく。しかし、怪人21面相は動いていた。 6.28日、丸大ハムから現金奪取を狙う怪人21面相からの電話があり、丸大社員になりすました私服刑事数人が指定通りJR東海道線高槻−京都駅間の電車に乗ると、鉄橋近くの目印の旗を見つけ次第、5000万円の入ったバッグを車窓から投げ込むよう指示があった。しかし、電車の速度が速く投げられなかった。この時のことかどうか不明であるが、車内に配置された私服刑事の1人が不審な「キツネ目の不審男」を発見している。刑事達は尾行班を設けキツネ目の男をマークする。但し、警察上層部は現場の刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたため、それ以上のことはできなかった。結局、キツネ目の男は駅を下りると、改札口を出た後の雑踏に紛れ、刑事はキツネ目の男の姿を見失っている。この丸大食品脅迫事件は捜査当局により伏せられ、三社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞がスクープし連続脅迫が発覚社会に衝撃を与えた。当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された。事件が「グリコ・丸大事件」ではなく「グリコ・森永事件」と呼ばれるのはこのためとみられる。 森永事件とは、また店頭の森永製菓の製品に毒物である青酸ソーダーが混入されたため世間が騒然となった事件を云う。これに関連して、食品メーカーの六社(江崎グリコ、丸大食品、森永製菓、ハウス食品工業、不二家、駿河屋)が次々と多額の金額を強要されるという前代未聞の企業脅迫事件が発生した。これをグリコ・森永事件と云う。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、怪人21面相事件などとも呼ぶ。 7.11日、ハウス食品・ジャスコ・ニチイへ警告状が届く。 9月以降、一気に大きく動き出す。9月12日、森永製菓に1億円要求。かい人21面相は森永を標的にする。ここから森永に危機的な事態が迫る。 9.23日、マスコミに6回目の手紙。 10.8日〜13日、かい人21面相は社会を大きな衝撃を与える行動に出る。それと同時にマスコミに7回目の手紙「全国の おかあちゃん え」を送る。
ついにかい人21面相は、毒入りの森永の菓子を京阪神では国道171号線沿いの都市や愛知県などのコンビニやスーパーなどに無差別にばらまいた。その森永の菓子には、どく入り きけん 食べたら 死ぬで かい人21面相 と書かれたシールを貼っていた。そしてこの時、毒入り菓子を置くところを録ったビデオが公開された。後に「ビデオの男」と呼ばれるようになる。この時送られた挑戦状にある「しかた」というのは当時大阪府警の本部長の「志方氏」のことである。志方氏はのちにマイカルの社長になるが倒産に追い込まれたしまったのである。挑戦状で「大さか婦警」とか「兵ご犬警」という書き方は、今の2ちゃんねるで見られる「これを読め!」を「これを嫁」と書き換えるのと同じ感じがする。 7月、丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届き、活劇を演じている。後に、犯人が、丸大食品のキャッチコピー「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」をもじった「わるでもええ かい人21面相になってくれたら」と言葉を使って丸大食品を脅迫したことが暴露された。この為、丸大食品への脅迫が世間に知られるようになった。 9.12日、犯人より、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状が届く。脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」、「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸入りの菓子が同封されていた。また脅迫状には、グリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていたが、真偽のほどは定かではない。 9.18日、再び活劇が演じられている。 10.7日から10.13日にかけて、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県のスーパーから不審な森永製品が発見された。「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼った森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。この間の10.8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いた。この脅迫状の中では「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」とまで宣言している。 10月13日、マスコミへ宛ての8回目の手紙。「クイズ 青せんソーダで なん人 殺せる でしょうか」。NHKにビニール袋に入った工業用青酸ソーダが送られてくる。 10月31日、マスコミへ宛ての9回目の手紙「社長 え」。
かい人21面相は森永に次のような手紙を送る。
ビデオの男に関係して事情聴取をしている事に触れる。かい人21面相は週末に動きをすると考え、警察が各スーパー店舗を警戒する連続週末警戒態勢がとられる。また、膨大なローラー捜査作戦が取られる。これに応じて森永は警察と協力しながら次の文句を新聞広告している。
http://www.deeposaka.com/denno/denno4.html に掲載されている。 10.15日、NHK大阪放送局に青酸ソーダの錠剤を送りつけられた。新聞各社への挑戦状にはこの青酸ソーダで何人殺せるかというクイズを出し、「賞品」は青酸入り森永製品、「宛先」は「刑死ちょう そうむ部きかく課長」(原文ママ)と記されていた。また、犯人グループは読売新聞社に宛てた挑戦状で1955年に森永製菓の関連会社である森永乳業が引き起こした森永ヒ素ミルク中毒事件を例に挙げ、「森永 まえ ひそで どくのこわさ しっとるやないか」と森永製菓を挑発していた。同じ挑戦状で、明治製菓が当時売り上げ1位で、グリコの次は明治が狙われると誰もがそう思う、だから明治(を標的にするの)はやめたという旨も書かれている。 森永の製品が一挙にスーパーから撤去されて森永の10月の売り上げは6割ダウン。次月の生産は9割減の見込みと発表。会社の存続にまで影響が出始めた。森永は、工場直送の菓子類を卸に回さずに、社員が自ら街頭へ出て売った。 11.7日、ハウス食品工業総務部長・和田博宅に脅迫状が届く。差出人は山口義明(同社取締役)、発見場所:大阪市阿倍野区にある和田氏宅の郵便受けに投げ込まれていたのを7日午前7時頃発見。この手紙には下記の浦上宛ての手紙と、固形青酸ソーダ、青酸ソーダ混入の「ハウスシチュー」が同封されていた。文中の「浦上」は裏紙郁夫(同社代表取締役社長)、「大つか」は大塚邦彦(同社副社長)を指していると思われる。浦上社長宛ての脅迫状は現金1億円を要求する内容で、現金受け渡し日は11.14日、場所は伏見のレストランというように指定されており、別の脅迫状には青酸ソーダ混入の「ハウスシチュー」が同封されていた。
同日、又しても活劇が演じられる。大津サービスエリアで現金輸送車の様子を伺う不審者が刑事に目撃される。不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃された「キツネ目の男」と一致。刑事は「キツネ目の男」を注意深く尾行したが、そのまま一般道路の方へ逃げられてしまう。 11.12日、マスコミへ宛ての10回目の手紙「全国の すいり ファンの みなさん え」。 11.14日、ハウスに現金投下を指示し、それを滋賀県内の名神高速を舞台に行われる。ここで警察は大きなミスをする。ハウス食品に送られてきた脅迫状の指示通り、車に1億円を積み、大津パーキングエリア内で金の受け渡しのため待機。このパーキングで不審な「キツネ目の男」が捜査員の数メートルのところまで接近していたが、その後見失う。そして、犯人側が指定した場所にあった指示書に「名古屋方面に向かい、白い旗が見えたら缶に入れた指示書を見よ」と書いてあった。ハウスの社員に変装した捜査員はスロースピードで車を名古屋方面に走らせる。一方、ほぼ同時刻に白い旗が取り付けられた名神高速道路の地点から50メートル手前で交差する県道(栗東)で不審な車をパトカー(捜査班ではなく通常の警邏であった)が発見した。ただ、この警官達はグリコ森永事件の捜査を行われていることを知らなかった。不審車を取り調べようとパトカーを降りた途端、不審車が急発進し逃走。パトカーは追跡したが見失ってしまった。その後、乗り捨ててあった不審車を発見。車内には警察傍受無線機が残されていた。この出来事で滋賀県警の山本県警本部長に批判が集まる。ただ、この出来事は「犯人が新たな動きをするかもしれない」等の理由で警察がしばらく報道しないようにお願いし1ヶ月間報道協定が結ばれる。 11.19日、ハウス食品工業課長に脅迫状が届く。11.14日の現金輸送車を監視状況が書かれていた。また今は森永相手にしており、暇になったら連絡するとも書かれており、事実上の脅迫休止宣言とも受け取れた。 11.22日、マスコミへ宛ての11回目の手紙「全国の すいり ファンの みなさん え 2」。雑誌で「金が目的なら私が払うから辞めたまえ」と文を書いた作家の川内康範へ手紙。「わしらも 月光仮面 見たで おもろかった」。 12.7日 、12.15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。脅迫状にはテープと青酸ソーダが同封されていた。不二家に1億円を要求 。 12.14日、報道協定が解除され、警察がハウス事件で怪人21面相を取り逃がした失態が報道される。 12.15日、マスコミ宛ての12回目の手紙、12.17日、マスコミ宛ての13回目の手紙、12.26日、マスコミ宛ての14回目の手紙。恐らくその1つを確認しておく。
文面は、マスコミが報道協定でハウス事件を1ヶ月間報道しなかったことを批判している。 12.24日、大阪梅田の百貨店屋上から2000万円ばらまくことを要求。不二家は従わなかった。 12.26日、東京のスーパー社長宅に脅迫状が届く。 事件は越年する。 |
【1985年、「怪人21面相事件」発生その後】 | |||
1985.1.11日、不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなった。 1.14日、マスコミ宛ての15回目の手紙。 1.16日、マスコミ宛ての16回目の手紙。 1.25日、マスコミ宛ての17回目の手紙。フジテレビがある番組でかい人21面相に番組内のホットラインの電話に電話するように呼びかける。その電話の受付に若い女性が担当していた。それをかい人21面相は見ていたようで、「かい人21面相フアンクラブの みなさん え」で始まる文面が届けられた。
2.12日、東京、名古屋で青酸入りの菓子8個発見(〜13日)。マスコミ宛ての18回目の手紙 2.19日、マスコミ宛ての19回目の手紙「国会ぎいんの みなさん え」。
「わしらの せいで 法りつ できる そおや」は、食品に毒物を入れてばら撒くものに対する刑事罰の法律を作ったことを批評していると思われる。 2.27日、マスコミ宛ての20回目の手紙「松崎 え」。
森永に対する脅迫を止めると伝えてくる。NHKkの テレビ みたで 高木 ええ 男 や ないか 「高木」とは事件による危機対応に指揮を執っていた森永のの高木貞雄副社長のことである。 3.6日 、老舗の「駿河屋」に5000万円要求。 3.17日、マスコミ宛ての21回目の手紙。 3月以降、犯人グループからの恐喝がハウス食品等に頻回に行われた。(これらはマスコミに報道されていない) 4.3日、マスコミ宛ての22回目の手紙。この後、しばらくかい人21面相全く動きを止める。 8.7日、滋賀県警前本部長の山本昌二が本部長公舎で焼身自殺 。山本昌二は責任は自分にあると記者会見で表明した後、「肩身の狭い思いをさせて済まない」と兄に電話し、公社で焼身自殺した。 |
【1985年その日、「怪人21面相事件」止む】 | |||||||
8月12日、マスコミ宛ての32回目の手紙「国会ぎいんの みなさん え」。
かい人21面相は犯行終結宣言「くいもんの 会社 いびるの もお やめや…悪党人生 おもろいで」を送る。その5日前の8.7日、自身の退職の日に焼身自殺した滋賀県警本部長・山本氏の自殺に言及し、現場たたきあげの山本氏には責任はなく高学歴のキャリアの志方大阪府警本部長の方が責任があると批判している。香典代わりの犯行終結宣言としていた。 8月12日午前、「くいもののかいしゃいびるのもうやめや」との犯行終結宣言のニュース速報。当時、テレビも新聞もまさに「かい人21面相」一色だった。「劇場型犯罪」という言葉が使われるようになったのもこの事件からである。 その日の夜19時43分、その日2つめのニュース速報「JAL123便が羽田のレーダーから機影が消えた」という内容の日航ジャンボ機墜落事故が発生した。墜落した日航機には、「かい人21面相」から脅迫されたハウス食品の社長が乗っていた。 最後の交渉で、犯行グループが、8.12日の日航機123便社内での取引を指定してきた。金額は3億程度。犯行グループの脅迫状によると、「ハウスの浦上一人で来い。警察に連絡するな」。ハウスの浦上社長は大阪府警に連絡をし、内定捜査をした。大阪府警内部では、飛行機という密空間なので犯人グループの検挙が確実と楽観視していた。 8.12日当日、私服警官数名と供に浦上社長が機内に搭乗。犯行グループのあのきつね目の男が偽造パスポートを使って乗り込んできた。この状況は警察無線で逐一報告された。やがて18時半ころ飛行機が離陸した。機内での検挙は機内の混乱をきたすため「よく見張って状況を報告しろ」という指示だった。安定飛行になるやいなや爆撃音がなった。機内の私服警官は機内の客室乗務員に状況を確認し報告を行ったが途中で途絶えた。事故発覚後当時の中曽根総理および加藤糸広一防衛庁長官が対応を協議した。(「1985年の日航機ジャンボ機墜落事故はなぜ」) 「犯行終結宣言」、日航機墜落事件後、怪人21面相は動きをぴたりと止めた。35通の脅迫状と63通におよぶ警察への挑戦通告が遺されている。この急速な沈静化が不可解さを示している。
時の総理大臣、中曽根康弘が、 日航機123便に乗っていたグリコ・森永事件の犯人を逮捕・起訴・裁判・有罪確定・刑の執行という正規の方法を取らず、また取れない事情があって、乗客や乗員もろとも抹殺した。「死体は死体の山に隠せ」と厳命していたと云う。これによると、中曽根康弘が、何かの理由で、五百二十四人が乗った123便を、「たった一人を殺す為に」撃墜したことになる。
これを補足する情報として、「墜落遺体」の225Pは次のように記している。(「日航ジャンボ機 御巣鷹山墜落の真相」参照)
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終息宣言、日航機事件の後、犯人の動きがなくなった。 1994(平成6)年、江崎グリコ社長誘拐事件が公訴時効になり、捜査本部の体制は大幅に縮小された。 2000(平成12).2.13日午前零時、警察は、15年近くの年月をかけ、延べ130万1千人の捜査員を動員したにも拘わらず、一人の犯人も逮捕することができぬまま、東京・愛知で青酸入りの菓子をバラまいた2件の殺人未遂事件とこれにかかわる28件すべての公訴時効が成立した。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。犯人(かい人21面相こと、キツネ目の男たち)の正体及び動機は不明のままである。2005.3月、民法724条による除斥期間が経過し、民法上の損害賠償請求権も消滅した。 |
【「怪人21面相事件」の諸推理】 |
企業の危機対応の真価が問われた事件でもあった。「クタビレ爺イの廿世紀裏話(3)」によると、森永の高木貞雄副社長は同社の合い言葉『正しい経営』の経営理念の延長線上での対応『悪を利する行為は、企業の社会的責任を放棄するに等しい』との確信を貫き、何をそんなに頑張るのか?との裏取引を勧める財界の声にも耳を貸さなかった。不二家は脅迫を受けたのは、クリスマス商戦の直前であり、脅しに屈すれば繰り返し脅迫されるが、拒否すれば商戦は壊滅するという究極の厳しい決断を迫れられる。独断で全てを決めたのはの藤井総四朗社長であった。彼の決意は決まっていたが『要求を飲む事には反対』と言う警察側の意向に従うとして困難な社内意見を旨く纏めた。というようである。 この事件は警察の捜査に課題を残した。広域捜査の連携のまずさが指摘された。遺留品も大量生産の壁に阻まれた。日本タイプライター社製の和文タイプ『パンライター』が犯行に使われ、9ポイント細丸ゴシック活字と判明し、5千台を追跡。そして20台まで絞り込み捜査員40名で追跡をしたが、最後の一台の購入者『山下を名乗る男』が掴めず、犯人逮捕に至らなかった。俳優の京本政樹が事件で使用された和文タイプライターと同じ型のものを使っていたので、一時捜査線上に浮かんでいたことを京本がテレビ番組で告白している。警察無線が傍受されると会話の内容が判るアナログ方式から、既に導入が始まっていた傍受されても会話の内容が判らないよう暗号化されたデジタル方式への転換を進めるきっかけになった。ただし、グリコ・森永事件においては、警察は傍受を警戒して、既にデジタル方式の警察無線で連絡を取っていた。この事件で、犯人は誰かどのような人物かいろいろ推測された。キツネ目の男に似ているということで評論家の宮崎学氏が捜査の対象に上がったことがある。北朝鮮の工作員説、株の仕手戦屋、総会屋、右翼、暴力団、元警察関係者などいろいろあがった。相当裏社会に精通しているものではないかとも考えられた。 犯人グループは、グリコの株で儲けたのではないかという推測がある。グリコの製品に毒を入れたと脅迫し、グリコの製品が店頭から撤去されれば、グリコの株価は下がる。その時に大量のグリコ株を買い、グリコへの犯行終結宣言をすれば、グリコの株価が上がり、それで売り抜けたのではないかというのである。この事件に関しては、「被差別部落関係者」が捜査線上に浮上したため、捜査が打ち切られた」、という説が有力な説として見られいる。この事件に対してのキツネ目の男として重要参考人になった評論家の宮崎学と大谷昭宏との対談本である『グリコ・森永事件最重要参考人M』や、この事件をモチーフにした高村薫の小説『レディ・ジョーカー』などでもその説がほのめかされている。 |
【グリコ森永事件との絡み考】 | |
リチャードコシミズ氏の2009.8.22日付けブログ「JAL123便墜落事故−真相を追う−
気になる怪説(1)」は次のように述べている。これを転載しておく。
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【一橋文哉著「闇に消えた怪人」の推理考】 |
一橋文哉著「闇に消えた怪人」P145には、株式の或る仕手集団は、この事件で少なくとも百億円程の儲けがあったように記されている。これによれば、当事件の目当ては株式の株価操作をすることにあった可能性があると云うことになる。その他に、当墜落事故では暴力団関係者が二人死亡しているようで、2006年8月31日号の週刊新潮によると、その内の一人は総会屋の内妻であり、その遺族(韓国国籍の人物)は、態のいい恐喝とやらで日航を脅し、法外な額の補償金(5億円)を得た他に、旅行代理店設立に当たっての便宜、業界の常識からかけ離れた手数料の上積み、最後は4億円もチャラ・・・等の優遇を受けたとのことである。「闇に消えた怪人」P219には、コリアン・コネクションと云うことで、或る組系列の事件師のメンバーの多くは、一度はグリコ・森永事件の容疑者としてリストアップされていると記されている。また、この点に関しては、また、1984年10月12日の各社新聞によると、江崎グリコへ金品を要求した時の録音テープによる声は30歳代の女性であったとのことですが、この女性がその総会屋の内妻であったかどうかについては、残念ながら不明。 なお、江崎社長を拉致・監禁した犯人の内の二人は特徴を掴まれており、高知弁の男性と赤ら顔で顔にニキビがある男性であったとのことである。当事件では捜査が進み森永製菓の製品に青酸ソーダを混入した思われる人物の防犯用ビデオ写真と江崎グリコへ金品を要求した時の録音テープの音声が公開され、その上、キツネ目をした男性のモンタージュ写真が全国に掲示された。この時点では、犯人側には、その内の誰かが、まもなく、あるいはいずれ逮捕されるとの懸念が強くあったと思われる。 |
参考文献 |
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(私論.私見)