運輸省航空事故調査委員会の報告書考

 更新日/2017(平成29).9.8日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、当事故事件を調査した運輸省航空事故調査委員会の報告書の中身を確認しておく。何故、ブラックボックスが公開されないのか? 何故、無編集のボイスレコーダーが公開されないのか?

 2010.08.16日 れんだいこ拝


【運輸省航空事故調査委員会の報告書考】
 事件後、航空管制を監督する運輸大臣直属の常設機関である航空事故調査委員会が設置された。委員は委員長を含め定員5名。武田峻委員長は前宇宙技術研究所長だが、委員には航空局OBが2人入っている。航空機事故調査委員会はいわば身内を裁く委員会となるから、事故原因調査にあたってその独立性を保持せねばならぬところ、独立性に大いに疑問がある構成となった。

 1985.9.14日、中間報告が出され、これを境に事故調の委員長及び委員の半数が、任期で交替している。


 1987.6.19日、事件から2年後のこの日、運輸省航空事故調査委員会が、橋本運輸大臣に事故の原因に関する報告書を提出し公にした。事故原因について次のように結論づけている。
1・該当の機体は事故の7年前の1978年(昭和53年)6月に伊丹空港でしりもち事故を起こして客席と機体外壁を隔てる「圧力隔壁」が破損した。
2・「隔壁」の破損を米ボ―イング社で修理したが、修理ミスがあった。
3・以後の飛行による劣化で、事故当日、修理ミス部分に金属疲労が生じ、「隔壁」に亀裂が入った。
4・気圧差でその亀裂から客席の空気が吹き出し、一気にマッハを超える勢いで噴出したため、その圧力で尾翼を破損させ噴き飛ばした。
5・尾翼の破損で油圧系統がすべてダウンし、飛行性の低下と主操縦の機能も失われた。
6・迷走の果てに御巣鷹山に墜落したものと推定される。
 「本事故は、事故機の後部圧力隔壁が破損、引き続いて尾部胴体、垂直尾翼、操縦系統の破損が生じ、飛行性の定価と主操縦昨日の喪失をきたしたために生じたものと推定される。飛行中に後部圧力隔壁が破損したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀裂にそって同隔壁の強度が低下し、客室与圧に耐えられなくなったことによるものと 推定される。疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、 それが同隔壁の破損に至るまでに進展したことは同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される」。

 これによると、JAL123便は、ハイドロプレッシャーダウン(油圧系統のダウン)により機体後部の圧力隔壁が破壊されたのが原因で垂直尾翼が3分の2損傷し、墜落したと推定されている。即ち、「後部圧力隔壁の破壊に伴う、垂直尾翼を含む機体後部の破壊」としている。これを仮に「圧力隔壁破壊説」とする。しかし、航空機の垂直尾翼は非常に頑丈なものであり、機内与圧空気の急激な噴流などで壊れたとする報告書に疑問が投ぜられている。生存者の落合由美氏は、「乗客は降りてきた酸素マスクは当てているが、混乱はなかった」と証言しており、機内に急減圧が起きているフシはない。我々は単刀直入に垂直尾翼が破壊された原因を考えねばなるまい。これを常識的に考えると、何らかの飛行物体が尾翼にぶつかったのではないかということになる。事故調査委員会は、外部原因説の可能性に一切言及せず、内部原因説の「後部圧力隔壁破損説」を固持し続けている。その癖、相模湾に落ちた垂直尾翼や 尾部胴体 、その他多数の部品についても解析と調査を まったく行っていない。

【日航乗員組合連絡協議会の報告書考】
 日航の従業員組合の組織、日航乗員組合連絡協議会は「急減圧はなかった」と結論したレポ―トを発表している。

 被害者の遺族たちは、1999年1月に事故原因再調査要求を提出した。しかし、事故調査委員会はこれを完全に無視し今日に至っている。それどころか、1999年11月、情報公開法施行を前にして、JAL123便墜落事故関係の全書類をにすべて廃棄処分にすると云う挙に出ている。その重量は1160キログラムであったと云う。一体何の為に証拠書類をすべて廃棄処分にしたのだろうか。既に多くの識者が、「高度高度24000フィート(7200メートル)の上空で飛行機の垂直尾翼に飛行機かミサイルのような謎の飛行物体が激突した」可能性について言及している。一体誰が何の為にと云う「もう一つの推理」までは避けているが、外部原因説は既に衆知の事実のように思われる。

posted by 管理者 at 03:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 御巣鷹山事故の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 雫石事故とは71年、全日空機のジェット機727型機に航空自衛隊のF86F戦闘機が衝突した事件である。この時、自衛隊は全日空にも管制にも訓練を報せていなかった。この時、ある疑いがもたれた。自衛隊機が民間機の全日空機を敵機に見立てて戦闘訓練をしていて誤って衝突したのではないかという疑惑である。乗客乗員162名が死亡。この時は航空幕僚長の辞任で収まっている。運輸省管轄の航空事故調査委員会はこの事故をきっかけに誕生している。




(私論.私見)