別章【陽明学とその現代的再生考】

 (最新見直し2007.3.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 陽明学を研究する理由に、昨今の構造改革論議を聞いてみてこの国の統治者及びそのブレーンはたまたマスコミまで含めて、生きた知識つまり実践に有効な学問を喪失しているのではないかと思うことによる。構造改革論議を仮に政府省庁の改革に限定してみても、そこで論議されていることは省庁の再編統合か否かの議論だけである。問題は左様なところには無かろうことは、省名をいじっただけでは何の効果も無く却って省名を分かりにくくしただけの結果しか生んでいないことで分かるではないか。

 構造改革論議の核心は、天下り、その他利権構造、過剰規制、無責任事なかれ主義その他その他のお役所仕事作風の払拭を通じて、本来の機能を如何に作動させるのかの叡智にこそあるのは自明ではないか。この焦眉の課題に論議をせぬままやれ統廃合だ、そうはさせじと百年政争してみても何の甲斐があろう。この国の統治者は一事万事この通りでほんに役に立たない。もはや、かような連中にはげんこつかます一手しかなく、それも待った無しなのではなかろうか。

 ここで陽明学を研究する理由には、極めて希有なことにこの思想が生きた教本として我が国の幕末に貫徹していたのではないのかと思うことによる。このことに注目する論者が少なすぎるように思われる。この現象は、お上も下々もこの国の変革を真に望んではおらず、口先とは裏腹な怠惰な守旧な精神に汚染されているが故に見えてこないのではなかろうかと思う。あるいは、世界史に冠たる幕末志士活動の偉大さをそれとして見なしえない偏狭学のせいかも知れない。

 れんだいこは、陽明学は極めて有効な思想であると思うから、そも陽明学とは何ものぞの解析から始めて次第にその思想のエッセンスを抽出させ、そのイデオロギーが史実として如何に幕末を主導し、明治維新へと流れ込んでいったのか。はたまたこの思想が如何に消えて再び地下に潜ったのかを検証してみたい。

 ところで、実際の陽明学は一歩一歩思想形成されていった。その年代的考証も魅力があるがそういう研究は専門書に委ねようと思う。ここでは、ほぼ完成された後年の思想を以ってその思想の特質を解析したい。思想の民衆性、実践性、抵抗精神、社会の変革意欲等々の点で、陽明学は史上の関頭に立ち、後年ほぼ同時代的に勃興した西洋のマルクス主義と日本の中山みき思想の先駆けの栄誉に与(あずか)っている。れんだいこは、お国柄の違いを別にすれば匂いが良く似ており「良質な危険思想」の気がするこの三思想に着目し、本稿では陽明学を仲立ちとして相互の絡みを見ていきたいと思う。

 補足すれば、陽明学が生み出された15世紀初頭は歴史の偶然か必然かイタリア・ルネサンスの勃興期と照応している。中部イタリアの商業都市フィレンツエを象徴的にその後の世界史を変える新たな文明倫理が生まれつつあったが、丁度この時期東洋中国において陽明学が発祥していることは興味深い史実である。ちなみに我が日本でも応仁の乱の混乱を経て群雄割拠・下克上の戦国時代に突入している。戦国の覇者織田信長の登場する直前の頃に当たっていることも興味深い史実である。

 蛇足ながら「危険思想」を危険視するには及ばない。歴史を見れば、当初は危険視されていたものが次第に市民権を得ていった例に事欠かない。むしろ、時代の閉塞状況を打ち破る視点とメッセージが秘されている場合が少なくない。この三思想は単独では現在在るがままにしかならないが、その練り合わせの中から何か有益な思想が生まれるのではなかろうか、れんだいこはそう観ている。その謂いに根拠がありや否や。それをこれから実証していこうと思う。

 とはいえ当面は、れんだいこも学ぶことから始める以外には無い。各著作とインターネット情報からどんどん取り込んで、いずれれんだいこ観点で咀嚼していきたいと思う。この道中、例の著作権攻撃が為されないことを願う。あれはほんに時代を閉塞させる文明病だから。

 2005.5.5日再編集 れんだいこ拝


目次  

中項目
王陽明の履歴
陽明学理論
陽明学の哲学
陽明学の学問の作法
陽明学の社会思想
陽明学の組織論
陽明学の実践論
陽明学の人生観生死観
陽明学左派・李卓吾
別章【日本の陽明学者寸描
明治期陽明学とキリスト教徒の邂逅(かいこう)
幕末志士のイデオロギーに立ち現われた陽明学思想考
(明治維新と陽明学)
陽明学の現代的再生考
三島由紀夫の「革命哲学としての陽明学」考
安岡正篤学考
科挙制度考
インターネット
関連著作




(私論.私見)