4524112 ロッキード事件の概要1(角栄逮捕前)

 (最新見直し2006.12.14日)

 これより以前は、ロッキード事件の伏線考

 (れんだいこのショートメッセージ)

 「ロッキード事件」とは、当時の日本の最高権力者であった田中角栄首相が、米国航空機製造会社ロッキード社の代理店である商社丸紅の請託を受け、全日空に、ロッキード社の新型旅客機であるトライスターの選定を承諾させ、その謝礼として5億円を受け取ったとされた、いわゆる現職首相の受託収賄罪事件のことを云う。

 「ロッキード事件」は、現役総理が直接手を染めた戦後最大の疑獄事件として、その前にも後にも比類の見ないやり方で徹底追及されていくことになった。
「ロッキード事件」は、日米を股にかけて一大政治化したこと、特に日本では右翼から左翼まで、自民党から共産党まで、マスコミから検察、裁判所まで、労組から市民団体まで奇妙なまでに結束一致して、戦後最大の異能政治家であった田中角栄氏の政界追放を徹底的に策動したという点での金字塔となっている。

 
れんだいこの主張はこうである。

 「ロッキード事件」は、「現代世界を牛耳る米英ユ同盟の断と指揮の下、戦前的保守本流権力側がこれに呼応し、法を捻じ曲げ且つ悪行の限りを尽くした事件捏造であり裁判であったと後世総括されるだろう。この観点は今はまだ曙光にある。このことを証明する為に本サイトと掲示板が少しでも役立てば幸いである。

 以下追跡するが、『初めから有罪ありきで始まり、その経過と結果が将来に禍根を残す裁判となった様』、『検察という国家権力そのものを相手に、たった一人で百年戦争を挑んだ角栄の執念と無念の様』が伝わってくるだろう。

 この一連の経過を聞き分ける観点のポイントは次のことにある。

 弁護士出身で法務大臣経験者でもある古井喜實氏は「首相の職務権限」で次のように述べている。

 「裁判にイデオロギーが先行すれば人民裁判になる。人情が絡めば大岡裁きになる。どっちも間違いだ。法と良心に従い、証拠を固め、黒白を決しなければならない。田中角栄は果たして正しく裁かれているだろうか」。

 古井氏は、「田中角栄は果たして正しく裁かれているだろうか」と、当時より裁判に警鐘を鳴らしている。

 田中弁護団の中核であった木村喜助弁護士は「田中角栄の真実」で次のように述べている。

 「主張の骨組みが、正しい証拠によって動かせない事実、又は動かしがたい事実が発見され、それが基本となっているか。その骨組みを包む肉体が、経験則や論理法則によってしっかり構成されているか、検察の主張や判決が動かせない事実を骨組みにしているか否か、全体として正しい証拠評価と経験則、論理法則等で肉付けされているか否か」。

 折も折、2000.12.19日読売新聞(編集委員・水野雅之)に、木村喜助弁護士が最近著した「田中角栄の真実」の出版記念パーティーが、12.13日、都内のホテルでささやかに開かれたと伝えられている。発起人・後藤田正晴で、当の後藤田氏、田中弁護団の一員であった保岡興治(前自治省)、田中真紀子(前科学技術庁長官)らが各人各様のスピーチをした模様である。この声がなぜ掻き消されるのか、ここに現代を覆う闇があるやに思われる。

 
「ロッキード事件」は後遺症として「負の遺産」を我が社会にもたらす事になった。一つは、司法の独立と政治の不介入原則の溶解であり、二つは、マスコミの煽動と司法の暴走であり、三つ目は、裁判の長期化であり、その他判決論旨の精緻さの喪失もそうであろう。その影響は、社会の全領域に今も攪拌されつつある。 

 2003.9.16日再編集 れんだいこ拝



【ロッキード事件勃発時の動き】
 ロッキード事件発生時の動きを見ておくことにする。「ロッキード事件」は突如勃発させられた。

【ロッキード事件の勃発、チャーチ委員会での突然の発表】
 1976(昭和51).2.4日、米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会(民主党のチャーチ上院議員を長とする「通称チャーチ委員会」)が開かれ、チャーチ委員長は冒頭次のように述べた。
 意訳概要「これから公聴会を開催します。本日は、ロッキードの決算会社のアーサー・ヤング会社をまず取り上げ、続いて、ロッキードの責任ある役員達からヨーロッパ及び日本で行われた外周及び疑問の多い政治的な支払いについて述べていただこうと思う。極めて遺憾なことであるが、ロッキードが、日本に於いて、有名な右翼軍国主義集団のリーダーを代理人として雇い、過去数年にわたつて数百ドルを、給与及び手数料として支払っていたことを明らかにするであろう」(月間ゲンダイ「ロッキード疑獄事件の全貌」より)。
(私論.私見) 「チャーチ委員長は冒頭挨拶」について

 これによれば、後に続く「公聴会証言」の内容が事前に確認されていたことになる。

 その公聴会証言で、ロッキード社の会計監査に当たった会計士W・フィレンドレーによってロッキード社の対外秘密工作が漏洩され、 「ピーナッツ100個(暗号領収書、ピーナッツ1個は100万円で、100個は1億円)などロッキード社不法献金の証拠資料」となる公聴記録が突如発表された。

 
フィンドレーは次のように証言した。
 「米ロッキード社が新しく開発したジャンボジェット機L1011トライスター航空機売り込みのため巨額の工作資金を日本、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア、スウェーデン、トルコなどに流していた」。
 概要「ロッキード社は日本の全日空にトライスター機を売り込むに当たって、その裏金を政商・小佐野、右翼の大物である児玉誉士夫、総合商社の丸紅を仲介として、政府高官たちに1千万ドル(当時の円換算30億円)の工作資金を流した。うち708万5000ドル(当時のレート換算で約21億円相当)が児玉に秘密コンサルタント料として渡った」。

 2.6日、ロッキード社の前副社長アーチボルド・カール・コーチャンが同じ委員会での公聴会尋問に答えて次のように証言した。
 概要「児玉に払った21億円のうち、いくらかが国際興業社主小佐野賢治に渡ったと思う。我が社の日本での代理店丸紅の伊藤宏専務に渡った金は5億円であり、そのうちから日本政府関係者複数に支払われた。そうした支払いの必要性を私に示唆したのは丸紅会長の桧山広か、専務の大久保利春だった」。

 この爆弾証言が、ロッキード事件の幕開けとなった。米国SEC によるロッキード社の極秘賄賂工作の暴露は、電波に乗せられたちまち全世界に報道された。
(私論.私見) 「フィレンドレーの公聴会証言」について

 「フィレンドレーの公聴会証言」が明らかにしたのは、「ロッキード社の対外秘密工作」であり、概要「ロッキード社が全日空へのトライスター機売り込みに当たって、表向きを総合商社の丸紅、裏方に政商・小佐野、児玉誉士夫を通じて政府高官達に日本円で約30億円の工作資金を流した。そのうち約21億円相当が児玉に流れた」というものであった。

 この限りに於いて、「フィレンドレーの公聴会証言」はさほど異様ではない。問題は、ここから先は巨額の工作資金が渡った児玉ルートの使途の解明に向うのが常識的であろうところ、児玉に渡ったとされる資金の追跡の方には向わなかったことにある。ここに中曽根が暗躍していたことは間違いない。ところが、中曽根に向わず急転直下、角栄の詮索に向うことになる。ここに「闇」を見るのはごく当たり前のことだろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【ロッキード事件漏洩経過のミステリー】
 この漏洩の経過がミステリーであった。事件の陰謀性を糊塗する為に、次のような偶発で事件が発覚したと伝えられた。
 「ロッキード社の海外不正支払いを追及しようと目の仇としている公聴会機関に、出所も差出人も不明で、ロッキード社の売り込み商戦時の不正工作極秘資料の入った小包が、米上院チャーチ委員会に間違って配達され、それを開けてみるとくだんの資料が入っていた」。

 つまり、事件は偶発で発覚したというシナリオになっている。これに対して、角栄失脚事件疑惑派は次のように指摘する。ロッキード社の丸秘資料が、誤って届けられるなどということがあり得べきかどうか(「郵便の誤配達」)、それが開封されるなどということがあり得べきかどうか(「郵便の誤開封」)疑惑されるべきであるが、ここに目が向かうことなく大事件へと発展していくことになった。
ここには、ロッキード事件がまさにオカルト的に登場したという、初動時のあり得べからざる経過がある。これがロッキード事件の胡散臭さ第1弾である。

 この疑惑に対し、角栄失脚事件扇動派は、最近次のように反論している。
 チャーチ委員会で、ブラムの上司に当たる首席法律顧問を務めたジェリー・レビンソンは、「資料をくれたのは、アーサー・ヤング会計事務所である」として、その経過を次のように説明している。
 「事件発覚当時、ロッキード社は自社の監査法人であるアーサー・ヤング会計事務所に、資料は絶対に第三者に渡すなと命令していた。しかし、上院議会からアーサー・ヤング会計事務所に対して資料を提出するよう召喚状が来た。ロ社からの要請に応えようとすれば、議会侮辱罪で訴追されかねない。かといって顧客の意向を無視しておおっぴらに上院に提出するわけにもいかない。アーサー・ヤング会計事務所は立場に窮した」。
 「ある日、ロ社の顧問弁護士と会議をしていたとき、突然アーサー・ヤング会計事務所の顧問弁護士(ホワイト・アンド・ケース法律事務所)が箱を持ってやってきた。彼は私の秘書にそれを手渡して帰っていったんです。開けてみると、なんとロ社の資料が入っていました。後日、アーサー・ヤング会計事務所はロ社に謝罪し、資料を配達した弁護士を強く非難したそうです。しかしもちろん、これは嘘っぱちで、最初から仕組んだことですよ」。
(私論.私見) 「角栄失脚事件扇動派の最新の反論としての『弁護士手渡し説』」について

 つまり、角栄失脚事件扇動派は最近になって、「チャーチ委員会への誤配達」ではなく、真相は「アーサー・ヤング会計事務所の顧問弁護士による資料漏洩」であったと云い始めている。当初の「偶然の僥倖的漏洩説」が批判されたとなるや、真相はこうであった、何ら不自然は無かったことを論証し始めている。流布されている「誤配説」批判に対する批判のつもりらしいが、この経過にしたって不自然過ぎることには何ら変わりなかろう。それより何より、末尾の「最初から仕組んだことですよ」の言に重みがあろう。

 「顧問弁護士の持ち込み説」でもって「郵便の誤配達説」を打ち消し、得意がっているが、この輩の読解力には根本的に瑕疵があると云わざるを得ない。「顧問弁護士の持ち込み説」は、これはこれで元の問題つまり「意図的仕掛け説」に戻ってしまう。あちら隠せばこちら立たず、こちら隠せばあちら立たずの自己撞着に陥っていよう。

 この手合いと100年論争してもくだらない議論にしかならないだろう。この問題を真に解決する為には、「ロッキード事件は仕組まれたもの」を打ち消す論拠がいるんだよ。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【マスコミ各社の一斉トップ紙面報道の不自然さ】
 翌2.5日、新聞各社が夕刊で報道し始め、翌2.6日、各紙こぞって一面トップで「ロッキード事件」勃発を載せている。この「各紙こぞって一斉に」という報道の仕方に「?」が有りはしないか。これがロッキード事件の胡散臭さ第2弾である。
(私論.私見) 「ロッキード事件勃発一斉報道」について

 ここに外圧が機能しているのか、児玉―中曽根ラインと関係の深い読売新聞社社長ナベツネ(渡辺恒雄)の暗躍があるのか、それらが複合しているか、それは分からないが当らずとも遠からずの観がある。

 ところで、平野貞夫氏の「ロッキード事件、葬られた真実」は、「ロッキード事件勃発一斉報道」はなく、朝日新聞が二面の総合面に僅か25行程度のベタ記事扱いで報道したのみであると記している。れんだいこの理解と食い違うが、当日の各紙を検証すればはっきりするであろう。れんだいこの認識に間違いがあるとすれば、「一面トップ一斉報道」がいつ為されたのかを検証すればよい。そのような事実があったように記憶している。どなたか検証してくれれば良い。2006.12.14日、確認したところ、まず翌日の夕刊で続いて朝刊でということが真相のようである。

 2006.10.7日 れんだいこ拝

 
朝日新聞は、「ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金」という見出しで、次のように報じている。
 「米上院の多国籍企業小委員会(チャーチ委員長、民主党)は4日の公聴会で米ロッキード航空会社が多額の政治献金を日本、イタリア、トルコ、フランスなどに行っていた事を公表した。総額は1970年から75年の間に2億ドルにのぼると見られる。

 同小委員会で明らかにされたリストによると、数年前から1975年末までに708万5千ドル(約21億円)が日本の右翼政治家、児玉誉士夫氏に贈られている。同委員会では、この金がどのように使われたのかについては明らかにしていない。また、同リストによると322万3千ドル(約10億円)がロッキードの日本エージェントとして丸紅に支払われている。また、さらに日本の広報関係の1ーD会社に215万ドルが支払われており、同委では『これは日本の報道関係者へ都合の良い記事を流すために使われたのではないか』と推定されている」。
 
 朝日新聞社東京本社社会部の「ロッキード事件 疑惑と人間」は、「この記事が、日本中を怒りと驚きと混乱に叩き込む大疑獄の号砲であった」と自画自賛している。

【チャーチ委員会疑惑】
 「コーチャン証言」をこき出したチャーチ委員会の特異性は、「チャーチ議員CIAの職員説」に見て取れる。通常であればこの種の企業問題は上院の証券取引委員会で取り上げるのが通例のところ、自分の委員会で取り上げることを強く要求してチャーチ委員会が始められたという経過があった。これがロッキード事件の胡散臭さ第3弾である。

 一連の経過に不審を持ったジャーナリスト高野孟氏は次のように明らかにしている。
 「この疑問を追及するためにチャーチ委員会のメンバー、関係者達を精力的に回ったが、いずれも徹底した取材拒否で、疑問は解明できなかった」(田原総一朗「田中角栄は『無罪』だった」諸君2001.2月号)。

【「コーチャン証言」疑惑】
 この時の「コーチャン証言」、「フィンドレー証言」、「クラッター証言」が田中角栄逮捕に繋がっていくことになる。その胡散臭さに就いては「『コーチャン証言』、『クラッター証言』をどう見るべきか考」に記した。最肝要な点のみ抜書きすれば、次のように云える。白井氏は、「田中内閣打倒に対するアメリカの遠隔操作」を指摘している。

 
「コーチャン調書」は、文面が開示されていない。漏洩されている箇所を読み取ると、トライスターとP3Cの売り込みについて明らかにしているが、その文面でさえ必ずしも角栄逮捕に繋がる証言に成り得ていない。にも拘らず無理やり角栄に結び付けられていった「闇」の部分があるように思われる。児玉疑惑で明けたロッキード事件のその後の誘導の不自然さが判明しよう。

 
一部漏洩されている「コーチャン調書」によれば、児玉に渡った金額は21億円になる。ならば、角栄に渡ったとされる5億円に目が向くよりも主たる16億円の方にこそ関心がもたれるべきであろう。これには軍用機P3C購入問題が絡んでおり、公金の使途である以上より責任も重い。もしP3Cの方が追求されたなら確実に児玉―中曽根ラインが捕捉されることになる。

 東京事務所代表クラッター氏の「クラッター証言」になると凡そ使えるような代物ではない。にも拘らず、「クラッター証言」が決め手にされていくことになる。

 元来は、金額的にも桁違いに多く公金不正という観点からも、P3C問題の方が事件としてはより深刻で犯罪性が高いであろう。にも関わらず、P3Cについてはいつの間にか捜査線上から消えてしまい闇に隠されていくという経過を見せていくことになる。検察は、P3Cの方を「(55年体制の)底が抜ける」としてむしろ隠匿し、5億円詮議の方へ網を掛けていった。こうして、「ロッキード問題」は、「5億円授受」のトライスター売り込み商戦に限ってつまり角栄が受け取ったとされるロッキード社の5億円収賄の究明へと雪崩れ事件化されていくことになる。


 
果たして「コーチャン調書」は、正確に史実を語っていたのだろうか。仮にそのように主張しつつ供述していたとしても、その証言が田中角栄逮捕に繋がっていくに足りるものであったのであろうか。無理やり田中に結び付けられていった「闇」の部分があるのではなかろうか。これが「コーチャン調書」とその政治主義的な利用に纏いついている疑惑であり、ロッキード事件の胡散臭さ第4弾である。

 
このことに関して、平野貞夫氏の見解が宮崎氏の「民主主義への原価」に次のように紹介されている。
 「中曽根―児玉ラインが全く解明されなかったことが、現在の日本の政治とカネの問題を象徴している。角栄の5億円授受は、所詮民間航空機会社の経費である。だが、中曽根と児玉については防衛庁の軍用機問題。その集金の手法は現在にいたる自民党の集金ノウハウの集約であり、鈴木宗男方式の原型であった」。
(私論.私見) 「平野見解」について

 平野説は「角栄の5億円授受説」を肯定した上で、「中曽根ー児玉の防衛庁への軍用機購入問題の未解明問題」を問題視していることになるが、問題は、「角栄の5億円授受説」が冤罪であり、「中曽根ー児玉の防衛庁への軍用機購入問題」の方がホンボシだったとしてそこが不問にされたとしたら、この事件は一体どういうことになるのか、暫し胸に手を当てて考えてみよう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【ロッキード事件証言者コーチャンの隠匿ミステリー】
 こうして、この道筋は、ひたすら「5億円が丸紅によって賄賂として田中総理に渡された経過の解明」へと向かっていくことになる。この解明の道筋は、無数の新手法、新解釈、新判断、新判例等々、捜査から裁判終結までまさに、異例づくめで進展していくことになる。

 
この火付け役コーチャン氏は、以降は表に出てくることは無い。その後のマスコミの取材に当たっても徹底して逃げ隠れし続けることになった。ここも胡散臭いところである。これをロッキード事件の胡散臭さ第5弾としたい。「コーチャンの胡散臭さ」については別サイト『コーチャン証言』、『クラッター証言』をどう見るべきか考に記した。

【三木首相異常はしゃぎの不自然さ】
 三木首相は、「日本の政治の名誉にかけて真相を明らかにする必要がある。手の届く限りの材料を集め、法規に触れるなら厳重に処置しなければならない」とぶちあげた。このぶちあげの背景にあったものは何か。政界浄化だけが三木首相を突き動かしたものであるのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第6弾である。

 2.6日、衆議院予算委員会で、ロッキード事件に関する緊急質疑が行われた。三木首相が、真相解明についての決意を次のように語った。
 「日本の政治の名誉にかけても真相を究明する」、「事件の解明は全ての政治課題に優先する」。

 「金権腐敗政治を根底から改革するため」というのが錦の旗印であった。この時、三木首相は側近に次のように語ったと伝えられている。

「ほどほどにという人もあるが、真相を究明して、それで三木内閣がどうなろうとかまわないじゃないか」。
「田中まで、どうやってもっていくかがヤマだ。田中は死に物狂いの抵抗をしてくるだろう。これは、俺と田中の勝負だ」

 この時、野党各党は、1・政府側は関係書類を提出せよ。2・児玉ら5人を証人喚問せよ、と要求した。 

 2.7日、三木首相は、井出官房長官を私邸に呼び、「日本の政治の名誉のために、事態の究明を十分に行わなければならない」と指示した。同日、自民党緊急役員会が開かれ、党内に「ロッキード問題特別調査委」(委員長・浜野清吾)を設置することを決めた佐藤文生代議士派米、証人喚問反対方針を打ち出す。

 三木首相は、「高官名を含む一切の資料の提供を、米国に求める」よう宮沢喜一外相に指示した。こうして、事件は、ロッキード社・丸紅・全日空を当事者として、これに政商と政府高官が絡んだ収賄事件に発展していくこととなった。

 
こうして、三木首相―稲葉法相―宮沢外相―中曽根幹事長ー松野頼三政調会長ラインが「逆指揮権発動」でこれを後押ししていくことになる。一体、同じ党派内で「逆指揮権発動」なぞ有り得るものだろうか。何が誰がこれを推進したのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第9弾である。

 三木を推挙した椎名は、「一点の惻隠の情さえ見られない」と苦りきった。以降自民党内は大混乱へひた走っていくことになり、反三木派は「三木降し」へと向かうことになる。


【野党各党、マスコミ各社の異例の速さの特別委編成】
  「ロッキード事件の勃発」はすぐさまわが国の政界に波及した。野党がこの問題を追求、マスコミは連日この問題を報道、国会内外で激しい攻防が展開される。

 2.5日、社会党が午前の国会対策委で、「ロッキード政治献金調査特別委」(委員長・上田哲)設置を決める。

 2.6日午前、共産党が「ロッキード問題真相追求委」設置。同午前、民社党が「ロッキード問題調査特別委」設置。同午後、公明党が「ロッキード調査特別委」設置、直ちに黒柳明参議院議員ら3名が派米された。

 2.7日、社会党は、予算委員会での証人喚問に自民党が応じない場合、全ての審議を拒否することを決めた。

 朝日新聞社は、2.7日に早くもロッキード特別取材班を編成し、「総力を挙げて取り組む」との意思統一をしている。

 2.8日、民社党、2.9日、社会党、2.10日、共産党が調査団を派遣。各党とも相当の資料を渡され、約一週間後帰国する。

鈴木卓郎の「共産党取材30年」の指摘
 ロッキード事件に異例にはしゃいた三木首相に負けず劣らず、この時日共の宮顕は疑惑の徹底解明を呼号し、政界に「左」からの影響を与え続ける。何故宮顕は異常にはしゃいだのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第7弾である。

 鈴木卓郎の「共産党取材30年」に次のように記されている。
 「助かったのは『スパイ査問事件』を追及されていた共産党である。『査問事件』のナゾは解かれたわけではないが、要するに話題はロッキード献金の方へ移ってしまい、話題としては急速にしぼんだ。宮本を獄中から釈放したのはマッカーサーであった。今度はロッキードが宮本を世論の総攻撃から救った。これで宮本は二度『アメリカ帝国主義』に助けられたことになる。なんとも運の強い皮肉な共産党委員長といわざるを得ない」。
(私論.私見) 「宮顕の奇妙な救済」について

 鈴木卓郎の「これで宮本は二度『アメリカ帝国主義』に助けられたことになる」は、興味深い指摘である。鈴木卓郎の「共産党取材30年」の指摘の如く「戦前党中央委員小畑リンチ致死事件問題」で窮地に陥っていた宮顕がこれにより劣勢挽回していくことになった。日頃、対米従属論で反米闘争を構える宮顕が裏で米英ユ同盟と通底している様が見えてくる。これをどう整合的に理解すべきだろうか。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

 2.9日、自民党は、政府・与党連絡会議で、証人喚問要求に応じ、2.16、2.17日に行うことを決める。証人は、児玉、小佐野、檜山、松尾、伊藤、大久保、若狭、渡辺の8名を予定した。


【久保卓也事務次官発言】
 2.9日夜、防衛庁の久保卓也事務次官が、記者会見で次のような発言をしている。
 「PXL国産化の白紙還元は、国防会議議員懇談の開催直前、当時の後藤田正晴官房副長官と相沢英之大蔵主計局長が田中首相同席のもと決めたもので、防衛庁事務当局はその時まで知らされていなかった」。

 この「久保発言」に対し、すぐに後藤田、相沢両氏が抗議し、久保事務次官は発言を撤回し、自ら訓戒処分に附した。しかしそれにしても、なぜこの時期こういう発言が為されたのか、それが「久保発言に纏わる疑惑」である。

外務省の動き
 2.11日、新任の駐米大使として、東郷文彦氏がワシントンに着任した。東郷氏は、国務副長官インガソルを訪ね、三木首相の要請を重ねて伝えた。

児玉喚問不能
 2.12日、東京女子医大教授・喜多村幸一氏が記者会見し、「児玉の病状から判断して、証人として国会に出頭することは無理である」発表した。

 この件に関し、事件から25年後、元東京女子医大脳神経外科助教授・天野恵市氏が、月刊誌「新潮45」(平成13.4月号)に「児玉誉士夫の『喚問回避』に手を汚した東京女子医大」というタイトルの手記を寄稿し、当時の内情を暴露した。
 「重要参考人である児玉誉士夫を国会に呼んで証人喚問を行う。そう決定した国会に提出された主治医・喜多村の診断書では、児玉は重症の脳梗塞であり、そのため証人喚問には応じられんイとされていた。しかし、マスコミの独自調査では、児玉は重症ではなく、最近も埼玉県の久邇カントリークラブでゴルフをしている。ゴルフ場まで車で児玉を送迎したのではないかとされる運転手は、マスコミの取材後に自殺した」。
(私論.私見) 「児玉喚問不能の政治的意味」について

 「児玉喚問不能」の政治的意味は、ロッキード事件に於ける本来の究明ルートである「児玉ー中曽根ーナベツネラインルート」への捜査が向わず、無理矢理に角栄ルートへ向うことを意味する。その後の喧騒は、全てこのレールを上滑りさせていくことになる。


【ロッキード事件の訴追開始】
 以降、今日から見て我が国の政治には珍しい、強力且つ迅速に国家権力が発動した。こうした例は後にも先にも無いと思われる。つまり、並々ならぬ決意が為されたことが判明する。その意思者は誰か。それはれんだいにも軽断はできない。しかし、そういう影の存在無くしてはありえないことだけは分かる。これがロッキード事件の胡散臭さ第8弾である。

【「ピーナッツ領収書の怪」】
 続いて、ヒロシ・イトーなる人物のロッキード社宛金銭領収書と思われる「ピーナッツ100個受領」などと書かれた、いわゆる「ピーナッツ・メモ」が表に出てきて、このメモは4枚あって逐次出され、合計5億円とされる。当然、この5億円の宛先の政府高官とは誰かの詮議に向かうのが自然で、マスコミ主導で沸き返る騒ぎへと発展していくこととなった。

 しかし、木村喜助氏の「田中角栄の真実」が明らかにするところによると、「ピーナッツ100個受領」と書かれたいわゆる「ピーナッツ・メモ」の原本は、被告の弁護人に見せられることは無かった、とのことである。
(私論.私見) 「『ピーナッツ・メモ』の原本不開示」について

 これは重大な指摘である。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

大物右翼政界フィクサーの裏の顔が露出する
 この時わが国の新聞紙面でもって、大物右翼政界フィクサーとして知られていた児玉誉士夫がロッキード社の秘密代理人となり、多額のコンサルタント料をもらっていた事が暴露される。ちなみに、「児玉には60年代から仕事をしてもらっていた」とのロッキード社会計監査人・W・フィンドレー証言が為されている。 

 朝日新聞東京本社社会部の「ロッキード事件 疑惑と人間」は、秘密代理人契約が1969(昭和44).1.15日であったことを記している。この日、世田谷等々力の児玉邸で、ジャパンPR社長・福田太郎を通訳として児玉とロッキード日本支社長クラッターとの間で秘密コンサルタント契約が為されたことを明らかにしている。

 同6.1日、児玉は年間5千万円のコンサルタント料の他に、1・P3Cを50機以上売り込んだ際の報酬は25億円、2・大韓航空へのトライスター売り込みの成功報酬は10億円という別途成功報酬権を明記した契約に改定した。
(私論.私見) 「大物右翼政界フィクサー児玉誉士夫の正体」について

 このことの意味することも重大である。単純に云って、常日頃民族派右翼を自称しているその筋の親分が、実はアメリカのスパイであったというトンデモ事件が暴露されたという構図である。世の中はそんなものかも知れない、もって銘しておくべきであろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【日米両政府共同による事件徹底究明の声明】
 2.11日、福田一国家公安委員長が、三木首相に「政府は全力を上げて真相究明に乗り出すべきだ」と異例の申し入れ。

 2.12日、井出官房長官が、記者会見で、「外務省に対し、入手できるあらゆる資料を収集するよう指示した。これには政府高官の名も当然含まれる」と発表した。

 同日、キッシンジャー米国務長官が、国務省で記者会見し、「金を受け取った外国政府高官の氏名暴露は、その国の安定を乱し、重大な結果をもたらす」とコメントした。

最重要人物の児玉誉士夫の病床尋問
 その後、「喜多村診断書」の信憑性が疑惑され、児玉を自宅で診察するという衆議院予算委員会決定が為された。2.14日、病気を理由に国会の証人喚問不出頭を届けていた事件の最重要人物・児玉誉士夫は、病院の病床で尋問(臨床取調べ)が行われた。この病床尋問の不自然さが暴露されている(目下、資料蒐集中)。児玉はなぜ病床に隔離されたのか。これがロッキード事件の胡散臭さ第10弾である。

 元東京女子医大脳神経外科助教授・天野恵市氏は、2001(平成13).4月号月刊誌「新潮45」の手記の中で、この時の裏事情を次のように暴露している。
 意訳概要「国会医師団が児玉邸に調査に行く日の午前、主治医の喜多村医師は児玉邸に行き、フェノパールとセルシンをアンプル注射した。この薬には強力な睡眠作用と全身麻酔作用があるので、この注射を打てば完全に眠り込んだ状態になり、診察など不可能になる。案の定、国会医師団の診断結果は、『重症の意識障害で口も利けないから、国会の証人喚問など無理』ということになった」。

【「児玉領収書」の奇怪さ】
 ところで、いわゆる「児玉領収書」は偽造の疑いがあるとの指摘が為されている。ならば、誰が何の為に偽造したのか。あるいは、児玉の与り知らないところで誰かが児玉名で受け取っていたのであろうか。いずれにせよケッタイナ話ではある。これがロッキード事件の胡散臭さ第11弾である。

 日本生産性本部常任理事、児玉氏とは40年来の親友の白井為雄氏の「ロッキード事件恐怖の陰謀」(暁書房、1977.2.5日初版)が次のように指摘している。
 概要「いわゆるコーチャン証言、フィンドレー証言は、児玉への支払いを明言しているものの、それを証拠立てるものが無い。児玉が発行したと云われている46枚の領収書は、ゴム印、日付印、認印、チェックライター、共々に偽造の可能性がある。現金授受を証言したとされる福田供述にも疑義がある。誰一人物的具体的証拠を明らかにしている者は居ない。未だに児玉ルートの解明は出来ていない」。
 概要「児玉ルートは米国上院多国籍小委員会におけるロ社の前社長コーチャンや、ロ社の会計検査人のフレンドリーや、前東京支社長クラッターらの証言をもって17億円の巨額の金が渡ったと断定されているが、多くの疑惑が有る。どうしても児玉を贈収賄の犯人に仕立てて児玉を社会的にも道義的にも抹殺しなければならない深い事情があったとしか考えられない」。

 白井氏は、以上のような疑惑を述べながら、次のような重大な可能性を示唆している。
 概要「曰くつきの領収書で児玉への鐘の流れを追跡していくと、一番集中しているのは47年の10月末から11月にかけてである。丁度この頃は、11.13日の衆議院の解散、12.10日の総選挙に重なっている。これとの絡みを窺うほうが自然ではなかろうか」。
(私論.私見) 「児玉領収書問題」について

 つまり、児玉が、ロッキード社の秘密エージェントであったことは疑いないが、数次にわたって頻繁に小出し出金されている領収書を精査すると偽造が判明し、少なくとも児玉自身が受け取っていないと看做すべきであると云う。ならば、誰の手に渡ったのか。中曽根ラインが詮索されねばなるまい。あるいは、そもそも出入金の無い捏造文書なのか、そもそもロッキード社の迂回献金であって本国米国へ還流していたのか、ということにもなる。「児玉領収書問題」にはそういう胡散臭さが付き纏っている。

 2005.7.15日 れんだいこ拝

【政界の反応/証人喚問】

 2.16日、衆議院予算委員会で、ロッキード疑獄についての証人尋問が開始された。全日空ルートで、田中角栄の刎頚の友と云われる国際興行社主・小佐野賢治を始め、全日空社長・若狭得治、同副社長・渡辺尚次、大庭、丸紅ルートで、社長・桧山広、松尾・大久保・伊藤、ロッキード社側で鬼俊良日本支社支配人らが国会に証人喚問された。

 午前10時、小佐野証人の質疑が始まる。約2時間に及び、小佐野氏は、ロ社の対日工作との関係を全面否認した。「記憶にございません」と15回にわたり返答し、話題を投げた。午後、若狭証人、渡辺証人の質疑に入る。両名とも、「トライスター採用に当たって外部からの圧力は無かった」と強調した。証人喚問の模様はテレビで生中継された。日本中が注目した国会中継の視聴率は30%を越えたと云われている。

 2.17日、丸紅の4幹部(桧山、松尾、大久保、伊藤)が証言台に立った。大久保、伊藤両専務は取締役を辞任した。


 2.16ー17日の第一次証人喚問が終わると、野党は直ちに第二次喚問を要求した。


 2.16日、ID社のシグ・片山社長が、ロサンゼルスで記者会見し、「ロッキード社に頼まれて領収書を作ったが、資金の流れには関係がない」と発表した。


 2.18日、三木首相が宮沢外相に対し、「外交ルートを通じてアメリカ側に、全ての資料を日本側に提供するよう要請しろ」と命じた。

【検察の反応/異例の熱意】
 検察は、異例の熱意と決意で「ロッキード事件」の捜査に乗り出していくことになる。最高検検事・伊藤栄樹が音頭取りの要となり采配を振るっている。伊藤栄樹のプロフィールは、「東京地検を皮切りに法務省畑を歩いた後、47年東京地検次席検事、50年最高検察庁検事、52年法務省刑事局長、54年法務事務次官、60年に検事総長になった典型的な『充検』のエリート」。この伊藤と国税庁のドン磯辺とがじっ魂の中で呼吸を合わせていくことになる。

 この時の検察庁の布陣は次の通りである。法務省刑事局長・安原美穂、同刑事課長・吉田淳一、同刑事局総務課長・堀田力、捜査主任検事・吉永祐介。検事総長・布施健、最高検次長・高橋正八、最高検検事・伊藤栄樹、東京高検検事長・神谷尚男、東京地検検事正・高瀬礼二、同次席検事・豊島英次郎、特捜部長・川島興、特捜部副部長・石黒久*、特捜部・小林幹男、地検検事・松田昇・田山太市郎、高野利雄(論告求刑)。

 2.10日、検察が捜査着手を表明。「刑事事件として立件できるかどうかを含め、事実を解明する必要が有る」。
 
 2.16日、東京地検が捜査準備の検討会。

 2.18日、最高検、東京高検、東京地検による初の検察首脳会議が開かれ、警視庁、国税庁も調査を急ぐ方針を固める。席上、東京高検検事長の神谷尚男が、「ここで検察が立ち上がらなかったなら、20年間、国民の信頼を失う」と鼓舞発言した。

 2.24日、日本の捜査史上初めての三庁合同捜査体制が発足した。ロッキード事件は、この当事者の審理の都合上から、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートの三ルートに分けられて追及されていくことになった。

丸紅ルート (贈賄側)  桧山広会長(事件当時・社長)、松尾泰一郎社長、大久保利春専務(事件当時・専務)・伊藤宏専務(事件当時・社長室長)。
(収賄側)  田中角栄元首相、榎本敏夫・田中利男秘書官
全日空ルート (贈賄側)  若狭得治社長・渡辺尚次副社長・大庭哲夫前社長。
(仲介側)  小佐野賢治国際興業社主。
(収賄側)  橋本登美三郎運輸大臣・佐藤孝行代議士。
児玉ルート (仲介側)  児玉誉士夫。

【警視庁の反応】
 検察の動きに比して、警視庁は困惑していた。その原因は、事件が海の向こうからやってきて、この種の事件捜査の常道である内偵が全く出来ていないうちに事件化していくことにあった。、警視総監・土田国保は、「政治先行、世論主導型事件」であることから慎重な指揮をとった。

 生活課管理官・藤田重広警視をキャップとする「資金流入ルート解明班」が編成された。2.20日、東京地検から一斉捜索の連絡を受け、2.21日頃、警視庁新館5Fにこもって活動し始める。

「行政調査新聞」の鋭い指摘】
 「行政調査新聞」は早くより「ロッキード事件」に疑惑を投げかけている。以下、同社の 「田中事件の本質とロッキード事件の真相」より抜粋する。
 理解できないのは、捜査側の素早い対応だけではない。普通、疑獄事件捜査は、検察・警察の合同捜査で進められる。捜査の記録は検察・警察ともに二部づつ作られ、それぞれが各一部をもつのが習わしである。だが、ロッキード事件の捜査については、捜査の総括資料が警視庁にないという。警視庁にあるロッキード事件の資料は単なる事件概要資料だけで、捜査二課を中心に百四十余人の捜査員を投入して行ったロッキード事件捜査の総括資料が警視庁にないというのである。

 何故か。その理由は部外者の知るところではないが、釈然としない多くの疑問を感じる。ロッキード事件で逮捕された被疑者は総勢十八人である。その内訳は、東京地検の逮捕十四人、警視庁の逮捕は四人である。疑獄事件の場合、中心人物の逮捕は地検が行っているが、その他の被疑者は概ね警視庁の担当である。にもかかわらず、ロッキード事件については、"合同捜査"の先例を度外視して、十八名中十四名までが東京地検逮捕である。

 捜査の段階と同じく、被疑者の逮捕もなぜか検察中心に進められた。捜査、逮捕で、補助役に回された警視庁は、その他のケースでも無視され続けた。捜査続行中、コーチャン証言に関係したアメリカ側の秘密資料が検察側に届けられた。届けられた資料について、警察側はツンボ座敷におかれた。不公平な扱いに業を煮やした土田警視総監が検察に異議を申し入れた結果 二週問後、検察は秘密資料の写しを警察側に渡したが、資料の重要部分七百ページがカットされており、資料からアメリカ側の秘密事項全般 を読み取ることはできなかったという。検察・警察の対立を恐れた警視庁は、このことについて関係者に緘口令を敷いた。発覚から捜査着手、捜査から捜査の続行、起訴になるロッキード事件の全般 は、まったくの異例づくめだった。

 終始検察中心の捜査で、重要捜査については警察側の介入さえ拒否し、捜査内容の外部流出を検察は極端に恐れた模様である。捜査の段階で、被疑者のしぼりこみ、関係者の一人ひとりの扱い、職務権限の解釈等々で、謎に満ちた多くの具体例もあるが、ここでは省くとして、ロッキード事件の「検察・警察合同捜査」は、実は、検察主導、警察補助協力の捜査だった。

 慣習を無視した検察側の態度は、一体何を意味しているのか。第三者は知る由もないが、このようにして行われた捜査と、捜査結果 によって田中元首相は逮捕され、そして起訴された。法律の定めるところにより、東京地方裁判所は、ロッキード事件丸紅ルートの公判を、五十二年一月二十七日に開始した。検察が裁判所に提出した資料は、前掲した捜査によって得たもので、外部の闖入を一切拒否して作りあげた資料だった。

 ロッキード事件捜査に関し検察側が取った頑なな姿勢は、関係者にとっていまでも深い謎である。検察のこのような姿勢は、後日、ロッキード事件のアメリカFBI謀略説、日中親密化を恐れるソ連国家保安委員会KGBの謀略説、果 ては経済で世界を企むユダヤ資本の謀略説まで取沙汰される原因となった。外国の謀略説はどこまでが真で、どこが偽であるか確かめる手だてはないが、ロッキード事件についてその背後に「巨大な力」があったことは否定できない。

 初公判開始から七年、実に百九十回の公判を重ねて、百九十一回目の判決の日となった。10・12判決は、衆知の通り被告全員有罪の宣告だった。総理の犯罪を裁くとして喧伝されたこの日の判決は、裁判史上消し去ることのできない汚点を残した。判決の法律的解釈は措くとして、判決の意味するところは、正に中世の魔女裁判を思わせるもので、そこには法律の公正性、司法の独立性を窮わせる要因は一点たりとも認められない。

 この判決がいかに欺瞞に満ちたものであったかを証すものとして、判決後に記者会見した検事総長の言葉から読み取ることができる。検察側の勝利宣言であった当日の発言は、検察捜査、公判維持全般 が、「国民の強い支持と支援によって行なわれた」に貫かれていた。この言葉は根底において間違っている。少くとも法治国家の法運用は、法律に従わなければならない。わが国の法体系は三権分立で、司法に対する立法、行政の介入は許されていない。

 検察の立場および裁判も、この法体系から見れば完全に独立した性格をもち、いかなる勢力、権力とも関係してはならない筈のものである。しかるに、検事総長の発言は、明確に第三勢力、すなわち「国民」が関与したことを明らかにしている。では検事総長に問いたい。若し、国民一般が無関心が、反対かの場合、貴方は捜査、公判維持をどのようにしてやるのか、と。

 戦後多くの冤罪事件が法廷史を汚した。ある事件で被告人が裁かれた場合、この裁判が世間の注目を浴びず、また関心を呼ぶものでなかったから波は有罪と断定された。しかし再審裁判は、世間の注目するところとなり、「国民が彼を支持」したから無罪にしたとでも弁解するであろうか。司法の活動は、警察、検察、裁判の全過程で完全に独立したものでなければならない。 捜査、公判が公正であればあるほど、国民の支持も支援も必要としない。

 裁判の目的は「真実の発見と公正な審理」に尽きる。当初から検察による不当な捜査と、不公平な公判運用に振り回されたロッキード事件は、裁判においても同じ扱いを受け、参考人の証言、証拠品の採否についても、検察側の圧倒的優位 のうちに進められた。この不公平な公判運用は、金銭授受に関する証言と証拠物件真贋の鑑定、さらにアメリカから届けられた「嘱託尋問調書」の証拠採用決定に見ることができる。

 二・三の法律的解釈は、次章に譲るとして、10・12有罪判決は、起訴時点の疑惑をそのまま受け継いだ形で進められ、ロッキード事件そのものがもつ多くの疑問、疑惑を一切解明しないまま判決にいたっている。判決直後、法相の経験がある古井喜実氏は、「この裁判は間違っている」と明言し、検察の偏見と独断による公判維持を批難した。検察のいう国民の支持は、同時に、検察の独断とファッショを示す言葉である。果 してこの判決に全面的な支持を与えたのは、全国民であっただろうか。検察の不可思議な捜査、裁判所の検察寄り公判運営に疑問をもち、その結果 として判決に疑念を抱いた者は、検察のいう「国民」の中に含まれていないのだろうか。

 ロッキード事件の10・12判決の背景には、いろいろな力が働いていることは前にも述べた。それが故に、ロッキード事件判決はあのような道理に反したものとなり、「無茶苦茶判決」と批判されるに至ったといえる。国民支持による国民寄りの「判決」は、人民裁判の道理である。検察総長の発言、司法関係者の発言、少なくとも、ロッキード事件裁判が人民裁判であったことを裏付けている。

 民主主義の原点は、国民が「主」であることにある。だが、いくら主であっても、法律という厳粛な世界に、国民が世論という武器を携えて土足のまま入り込むことは許されない。判決後に発表された田中「所感」は、この判決は「政治に暗黒を招く」と述べている。

 田中元首相に限らず、10・12判決をそのまま鵜呑みにすることは、政治はもちろんのこと、社会全般 が暗黒化するかも知れない危険を大いにはらんでいる、10・12判決は、法のありかたを改めて国民に問いかける判決であった。


【国税庁の反応/異例の熱意】
 当時の東京国税局長は磯辺律男(その後、博報堂取締役相談役)であり、最高検検事・伊藤栄樹と呼吸を合わせながら査察部に内偵開始を指示し、特捜部長の川島興にも連絡を取り態勢を整えた。磯辺は、金額明示の無いピーナッツ個数領収書を金銭領収書と見なす裁定指揮を執り、脱税額を確定させた。

 磯辺律男について、新野哲也氏は「角栄なら日本をどう変えるか」の中で、次ぎのようにプロフィールしている。
 「磯辺律男は『大蔵省の事件屋』という異名をとった脱税査察のスペシャリストだった。国税庁査察部長、東京国税局長から国税庁長官になったエリート」。

 この磯辺律男がロッキード事件で果たした得意な役割について次のように述べている。
 「国税局が押収したデータを東京地検特捜部に提供したと伝えられた。国税庁が脱税容疑で回収した角栄の徴税資料を、そっくり地検へ持ち込んだというのである。事実なら、これが角栄を起訴に持ち込む重要な決め手となったはずである。私は、このデータが文芸春秋の編集長だった田中健五を通じて立花隆に渡ったと考えている。『金脈研究』にかかる資料は、国税庁の部外秘書類から抜き出さなければ手に入らない類のものだからだ」。

【国会の反応/異例の速さでアメリカ政府上院に対して資料提供を求める決議案採択
 2.23日、衆議院本会議で、野党に押される形で、アメリカ政府上院に対して資料提供を求める決議案が採択された。これを受け、三木首相は、「異常な熱意」を示し、同日午後、衆院本会議で、三木首相は決意表明に立ち、「フォード大統領宛三木親書」を送るつもりであることを次のように明らかにした。
 「政府高官を含めて一切の未公開資料を提供されるように、私自身からも直接フォード大統領に書簡で要請致します」。
 「国権の最高機関である国会の全会一致の決議は、極めて重い意味を持つものであります。政府は、ロッキード問題に関する決議の意を体し、事態究明のため最善の努力を行うことを、この機会に重ねて表明いたします。なお、国会がこうした異例の措置をとりました国民的総意を十分理解してもらうよう、私自身からも直接、直ちに、書簡をもって、フォード大統領に要請いたします」。

 米政府に対して、政府高官名を含む全資料の提供を要請する「フォード大統領宛三木親書」を認めた。次のような文面であった。
 概要「フォード大統領閣下、去年の夏、私どもは日米両国が永遠の友人であることを確認し合いました。今、両国はロッキード問題とい不愉快な問題に直面しています」。 
 概要「大統領閣下、昨日、日本の国会は重大なる決議を行いました。これを同封し貴政府に伝達します。国権の最高機関たる国会が、こうした異例の決議を行ったことは、それほど日本の国会が、今回のロッキード事件の事態究明を重大視しているからであります云々」。

 同夜、東郷大使に打電し、三木首相の「正式文書の到着を待つまでも無く、出来るだけ早く米政府に伝えよ」の指示を伝えた。2.24日、フォード大統領に親書を送り、事件に関係するあらゆる資料の提供を要請している。 

 この経過のエピソードが田原総一朗「田中角栄は『無罪』だった」(「諸君」2201.2月号)で次のように明かされている。
 概要「(評論家の藤原弘達が、私に興味深い話をしてくれた)三木さんから電話があって、電気を消して新聞記者たちを帰すから、その後に首相公邸に来てくれと頼まれてね。仕方なく僕は行った。フォード大統領に、資料をくれという親書を出す直前だったかな。三木さん、僕に、『親書を出すのと、出さないのとどちらがいいと思うか』と言い出した。僕は、とっさに答えに困って、『いい、悪いとはどういうことか』と、ためらいもなく聞いた。あの人、見かけによらず、神経が太いんだよ。そこで僕は、『どちらにしても長続きはしないが、親書を出せば、田中角栄は確実に潰せる』と答えた。三木さん、満足そうにうなずいていた」。
(私論.私見) 「政治評論家・藤原弘達の役割」について

 藤原弘達がダシに使われている様子が分かる。

三木の親書問題について、大平蔵相の感想
 三木の親書問題について、大平蔵相は次のような感想を漏らしていたことが伝えられている。しかし、この声が掻き消される。
 「実務者が厳正中立に真相の解明にあたり、真相が解明されれば、司直の手で処断する。これが一番良い解決の道で、なぜ政治のマターにしなきゃいかんのだ。政治はブレーキを踏んでもいけないが、アクセルを踏んでもいけない」。椎名も、「出来るだけ事を荒立てないようにうまく収めるのが円熟した政治家というものだ。特に外国から及んできた政治家がらみの事件は、後世の為にも慎重に対処しなければならない」。

検察庁、警視庁、国税庁の三庁合同捜査体制による本格捜査が指導する】

 2.24日、検察庁、警視庁、国税庁の三庁は、三庁合同捜査体制を敷き本格捜査に乗り出した。延べ380名を動員して、丸紅本社、児玉、大久保、伊藤の自宅など37箇所を家宅捜索。この時、検事総長・布施健自ら「検察庁としては、今後、全力を挙げて事実の解明に努力する所存である」と声明している。

 2.6日の事件勃発後僅か18日のスピード捜索であり、何とも手回しの良い動きであることが判明しよう。いわゆる基礎がためが出来ていたとは到底思えない。強力な指示で、ターゲットの本命角栄に一刻も早く辿り着かんが為に異例に三庁合同捜査体制捜査が敷かれ、捜査に着手したと思われる。
いずれにせよ空前絶後の国家権力機関の総発動であった。これがロッキード事件の胡散臭さ第12弾である。

 三庁合同捜査体制のあまりに迅速な対応について、
 「田中事件の本質とロッキード事件の真相」は次のように語っている。

 「ふり返ってロッキード事件の経過を検証すると、そこにはロッキード事件でしか見ることができない数々の疑問につき当る。米上院多国籍企業小委員会で、コーチャン・クラッター両ロッキード社関係者が証言したのは、51.2.4日だった。この証言を受けて、検察庁、警視庁それに国税庁が合同調査体制を組んだのが2.24日、そして5ケ月後の7.27日には田中元首相を検察庁が逮捕している。事件発生からわずか5ケ月後に中心人物を逮捕するなどは、従来の疑獄事件に見ることのできなかった素早い対応である。とくに、コーチャンの証言の直後、検察・警察・国税が、一糸乱れぬ 動きを示し、二十日後には合同調査本部を設け、数百人におよぶ捜査員を定めて捜査に着手している。従来の疑獄事件捜査は、事件発覚から中心人物の逮捕まで相当の期間を必要とした。また特別 合同捜査本部の設置は、各庁の意見調整に手間取り短時期内の設置はできなかった。ロッキード事件の捜査では、数々の例を破って、あたかも予定された行動のごとく、検察・警察・国税が動いた。しかも事件が表面化したのは国内ではなく多くの外交的枠組の違いがあるアメリカだった。国内の疑獄事件でさえ、事件の表面化までに相当な期問を要するのに、外国に端を発した事件が、このような短期間に国内の事件に発展した理由は常識的にみて理解できない」。

 新野哲也氏の「角栄なら日本をどう変えるか」で、この時国税庁が果たした役割について次のように述べている。

 「(児玉邸への家宅捜索について)『アメリカで公表された資料以外には何も無かった』という堀田の言葉が真実なら、捜索差押令状を出した裁判所を含め、この時司法当局は異例のスピード捜索を行ったことになる。18日間という時間だけでは無い。380名もの捜査官や査察官を動員した強制捜査に十分な根拠がなかった―という意味でも極めて異例の捜査だったのだ。むろん、警察・検察だけではこんな捜査はできない。裁判所も捜索令状をださなかったろう。容疑が不十分なうえに、家宅捜索したところで贈収賄の証拠が簡単に出てくるとは思えないからだ」。

 「ところが国税当局が絡むと、事情がガラリと変わってくる。脱税容疑なら『納税申告に載っていない収入があった』という疑いだけで国税局は捜査権を行使できる。それに警察と検察がのっかかった。合同捜査にすれば―国税庁の後にくっつといて検察が強制捜査を行い、脱税容疑で一気に起訴までもってゆける。証拠などいらなす。そのときに押収した資料をもとに国税庁が告発すれば、検察はそれを根拠に起訴までもってゆける。裁判では通用するはずもないピーナッツ領収書のコピーも、国税庁が脱税の証拠として裁判所に認めさせた。脱税から収賄をひっぱりだすのはそれほど難しいことではない。締め上げれば、大抵の被疑者は、検察サイドの主張をいったんは呑むのだ」。


 「検察庁と国税庁が組めば、どんな難事件でも、とりあえずは突破口が開かれる。脱税調査権を用いれば、簡単に強制捜査ができるからだ。これに裁判所が組めば『鬼に金棒』である。脱税容疑で強制捜査に踏み込み、検察が起訴して裁判所が検察の言い分を鵜呑みにすれば『検察ファッショ』などすぐにできてしまう。実はそれが、ロッキード事件の基本性格なのである」。

児玉関連捜索開始
 2.24日、東京国税局査察部が東京地検特捜部とともに、東京都世田谷区の児玉私邸など関係個所を脱税の疑いで捜索開始。北海道拓殖銀行築地支店の児玉口座が秘密口座も含めて徹底的に洗われた。1972.10.31日にロッキード社が児玉に4億3500万円支払っており、その一部と思われる1972.11.2日の8200万円入金が確認された。

 後の児玉公判での冒頭陳述で、児玉がロッキード社から得たコンサルタント料は、1972年11億8700万円、1973年1億3800万円、1974年7100万円、1975年2億9950万円の合計16億9550万円とされている。

 3.13日、東京地検が、児玉を所得税法違反で東京地裁に起訴。この頃までは、児玉に捜査の重心が置かれていたことが分かる。

 興味深いことは、児玉宅捜査で、角栄の名刺や年賀状さえ見つからず、「何のつながりもなかった」ことが逆証明されたことであろう。事実、小佐野を通じての間接的な遣り取りならいざ知らず、角栄は児玉に近づこうとせず、従って面識が無かった。これとは対照的に、中曽根はよほどじっ懇の間柄であった。
(私論.私見) 「児玉宅捜査で判明した児玉と角栄の没交渉ぶり」について

 ここも大事なことであろう。右翼の顔をしていながら実は米国系企業のエージェントであったという表と裏の顔を持つことが判明した児玉が懇意にしていたのは中曽根ーナベツネであって、角栄はむしろ反児玉派ともいうべき系流にあり、敢えて挙げれば田中清玄と近い。

 児玉派は60年安保闘争に右翼的に介入したが、清玄派はこれを掣肘しむしろブントに資金提供していた。そういう具合に両派は対立していた。その清玄と懇意であったのが角栄であり、拠って児玉邸に角栄の名刺も年賀状も見つからなかった、ということは頷けることになる。この構図を何人の人が知っているのだろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【三木首相のフォード大統領宛親書
 2.25日、海部俊樹官房副長官が、「フォード大統領宛三木親書」を議長公邸に持参した。野党、マスコミは、三木首相のこの政治姿勢を評価した。

 これに対し、椎名党副総裁は次のように述べている。
 「三木は、これこそクリーン三木の出番というのではしゃいでいる。あの親書のやり方はおかしい。党内には反発も出始めている。俺は、もう三木とは関係ない。向こうから連絡もないしな」(朝日新聞東京本社社会部「ロッキード事件 疑惑と人間」)。

【堀田検事米国へ派遣される】
 2.25日、アメリカ政府は、「実務的な打ち合わせの為の日本の検事派遣の受け入れ」を正式に了承した。

 2.26日、堀田力・法務省検事局参事官・検事が、検察庁、警視庁、国税庁の三庁一斉強制捜索の二日後に、米国へ派遣された。堀田氏は、半年前、一等書記官として3年半にわたる在米日本大使館勤務から帰国したばかりであった。

 2.27日、堀田氏が、アメリカ国務省で開かれた司法省、国務省、SECなどの合同会議に日本代表として出席し、ロッキード事件の捜査資料提供に関する協議を行った。

衆議員予算委員会で第二次証人喚問
 3.1日、再開された衆議員予算委員会(委員長・荒船清三郎)で、全日空前社長の大庭哲夫、ロッキード・エアクラフト・アジアリミテッド日本支社支配人の鬼俊良、全日空社長・若狭得治、丸紅専務・大久保利春、丸紅専務・伊藤弘ら9名の第二次証人喚問が行われた。この時、全日空現社長・若狭と前社長・大庭との対決証言が為された。大庭は、トライスターの競争相手であるDC10を買おうとしていたが、M資金(マーカット資金)問題で座を追われた経緯を持っていた。

 「全日空現社長・若狭と前社長・大庭との対決証言」で、大庭が「ダグラス社のDC10を購入しようとしていた」と証言したのに対し、若狭が概要「そういう引継ぎの事実は無い。ロッキード社のトライスター導入は純粋に技術的な見地から決められたもので、正規の手続きを踏んでいる」と否定したところがハイライトであった。

【「フォード大統領返書」が届く】
 3.4日、連邦証券委員会のヒルズ委員長は、日本側の資料提供について「捜査目的に限定すること」を条件にすると言明した。さらに、米国上下両院経済合同小委員会で、インガソル国務副長官が、「政府高官の名前は司法当局が起訴を決定するまで公表しないこと」、「その公表については日米政府間協議が必要であること」を資料提供の条件にすると正式表明した。

 3.12日、米大統領フォードの返書が届く。次のように認められていた。
 概要「私は気化の.24日付書簡を受領した。米国政府は本件の捜査をさらに進めようとの貴下の努力を引き続き支持する。(中略)このような手続きは、日本からの法執行当局者が米国の法執行当局者と緊密に協力し、米国の捜査・調査機関の保管する関係情報を秘密扱いのもとに入手する事ができる。証券取引委員会の法的及び行政的慣行上、調査に関連する如何なる資料も捜査のためにのみ用い、その調査が完了するまで公開しないことが望まれる云々」。

「日本調査団」が派遣される
 3.15日、稲葉法相の鶴の一声で、法務事務次官・塩野宣慶、刑事課長・吉田淳一、刑事局付き検事・渡辺尚・氏が米国に派遣され、ダレス空港に到着。東郷駐米大使の引き回しで、司法長官・E・H・レビ、刑事局長R・ソーンバーク、証券取引委調査部次長キム二ーなどにあいさつ回り。

【「児玉邸に小型飛行機が突入」】
 3.23日、元ポルノ俳優・前野光保が特攻スタイルで小型飛行機に乗り、児玉邸に突入し死亡する。

【「三木首相と司法当局の密談」】
 3月、堀田氏は事件の米側資料の受け取りに必要な司法共助協定締結に向け、当時法務省刑事局長の安原美穂氏とともに、官邸を訪問し、三木氏と会った。このときも三木氏は「起訴はいつできる」などと尋ねたという。(2006.7.26日付け山梨日々新聞「三木氏『いつケリ付く』 ロ事件田中逮捕30年」)

【日米政府間に「司法共助協定」が調印される】
 3.24日、日本側は野宣慶法務事務次官、アメリカ側は司法省のリチャード・ソーンバーク刑事局長が、「ロッキード・エアクラフト社問題な関する法執行についての日米司法共助協定」を調印した。「資料は捜査や裁判の手続きにのみ使用すること」、「国会に対して開示しないこと」と記されていた。当然の如く野党は反発した。この頃、「ロッキード事件」は既に一人歩きし始めた。

 平野貞夫氏の「ロッキード事件、葬られた真実」は次のように記している。
 「この瞬間、田中角栄の逮捕は確定した。なせなら、この通称『日米司法取り決め』は、田中角栄を逮捕するためだけに作られた条約だからである」。

【「社会党の裏取引」】
 3.24日午後3時、衆議院事務局の実力者・平野貞夫氏が、前尾氏が衆議院議長に就任した時の社会党国会対策委員長・楯兼次郎議員と極秘会談している。三木内閣総辞職を廻る遣り取りが為され、その後で次のような申し出が為されている。平野貞夫氏の「昭和天皇の極秘指令」が次のように暴露している。
 「三木政権のあと、この事態を収拾できる政治家は前尾議長をおいてない。私の恩師の岩井章も前尾さんの人格を尊敬して立派な政治家だといっている。『立場としては野党だが、陰ながら前尾政権をつくることに協力する』とまで云っているのだよ。そこで相談だが、運動資金を出せないだろうか」。

 平野氏は、次のようにコメントしている。
 「驚いたことに、前尾政権をつくるための運動資金の話を持ち出してきたのだ。これが当時の社会党左派の遣り口だった。究極のウルトラCで自民党との連立を果たした村山富市うじらにも、このDNAが受け継がれていたのに違いない」。


【ロッキード事件のその後の経過と概要】

【椎名副総裁不明を恥ず/「三木はしゃぎ過ぎ」批判】
 こうした「ロッキード事件」の一人歩きに対して、自らの裁定によって三木首相を誕生せしめた椎名副総裁は、三木首相がロッキード事件を政権維持の道具に使おうとしていると凝視し、その尋常ならざる「ロッキードはしゃぎ」に不快を覚え、三木を首相に指名した責任を痛感し、「三木下ろし」を画策していくことになった。3.19日、「財界総理」の土光敏夫経団連会長を訪れ、倒閣の意を伝えるとともに新政権作りの準備工作に着手した。

 3.30日、東京紀尾井町のホテル・ニューオータニの山茶花荘に、椎名自民党副総裁、田中派の二階堂、大平派の鈴木、田中系の小坂が会合し、「政局の転換」について打ち合わせる。椎名は、外相・宮沢の主宰する平河会の集会に出席し、三木首相を「はしゃぎすぎ」と批判し、政局の見通しを次のように語った。
 「三木のもとでの解散は絶対ないよ。絶対にやらせない。解散は秋だ。今国会中に三木がやると云っても、閣議で署名しない閣僚が、一杯出てくる。皆も解散風に動揺してがたがたしないでくれ」。

【角栄の「ロッキード釈明」弁明】

  4.2日、田中は、砂防会館で、田中派7日会の臨時総会で「私の所感」を発表し疑惑を否定。「ロッキード釈明」をしている。が、この田中の釈明も掻き消されてしまった。

 角栄の「ロッキード釈明」は次の通り。

 ロッキード釈明   昭和51年4月2日

 一、国際通貨危機や石油問題の発生によって、国際的にも、国内的にも、激動が4、5年続きました。経済の安定、不況からの脱出など、国民が今国会に期待したものは、たくさんあります。我々は戦後20年に終止符を打ち、新しいスタートを切るよう強く求められています。その意味で、私は今こそ、与党、野党を問わず、内外に山積する諸問題と正面から取り組み、具体的な施策を国民に打ち出すべき国会にしなければならないと考えておりました。

 二、しかるところ、ロッキード問題によって、国会審議は完全に停滞し、政局は予想もできない混迷に陥りました。いうまでもなく、ロッキード問題は、徹底的に究明されなければなりません。また私は、真理の解明が必ず為されるものと確信しており、それを心から望んでおります。本件については、すでに日米両国政府の間で、資料の提供など相互協力について合意が得られました。国内捜査権は、すでに発動されております。今後の問題の解明は、挙げて当局の努力に待つべきであり、それが三権分立を基本とする民主国家の原則であります。我々もまた当局を信頼すべきであります。

 三、政治は今、経済的混迷の中で、景気の回復を軌道に乗せるよう、国民から緊急に求められています。一部では雇用不安、社会不安の発生も予想されております。我々は国民の要請に応えなければなりません。今為すべきは昭和51年度予算案、及び関係法案を一日も早く成立させるため、全力を傾けることであります。このため党執行部が明確なる方針を打ち出し、行動に出れば、我が7日会は率先して、これに全面協力すべきであります。

 政府、自民党は、今こそ一体になって、この難局処理に当たるため結集しなければなりません。議員個人の立場や派閥の思惑を先行させることは厳に慎むべきであります。政府、自民党に課せられた政治責任を、いかに果たすかという責めに対してのみ、我々は決断し、行動すべきであると考えます。

 四、今日、ロッキード問題を廻り、あらゆる揣摩臆測(しまおくそく)が乱れ飛んでいることは、きわめて遺憾であります。しかし真相は、必ず解明されます。また、私は自分自身に対し、ひそかに誇りを持っております。各位に置かれましても、今後の政局に臨むに当たっては、自信を持って、堂々と行動されるよう願いたいので有ります。

 五、ロッキード問題に関連して、私のことがいろいろ取沙汰され、各位にも少なからず迷惑を掛けていることと思います。私が今日まで発言に慎重であったのは、一党の総裁、とくに一国の代表として公的な立場にあった者は、その職を離れてからも言動に慎重を期さなければならないと判断していたからで有ります。

 しかし、今日の状況からみて、私がこれまでの状態を続けることは、私自身、政治家としての責任を果たす上で障害になるばかりでなく、各位の今後の政治活動に影響を及ぼしかねないと考えるに至りました。従って、このさい若干の発言をしたいと思います。

 六、昭和47年8月、ハワイで行われた日米両国首脳会談で、ロッキード問題に関して何らかの取引があったのではないかとという言動が見受けられます。この会談に就いては、当時発表された「日米共同声明」に、すべてのことが盛り込まれており、私として、これに付け加えるものは何も有りません。また航空機の問題については、鶴見・インガソル会談に関する発表がすべてであります。互いに一国を代表する首脳会談の席で、一民間航空会社の問題が議論されるなどあり得るはずもなく、事実、まったくなかったことをあきらかにしておきます。

 七、いわゆる久保発言についていえば、四次防大綱を読み、これを二次防大綱と比較して分かるように、政府がPXLの国産化を決めたことは一度も有りません。PXLの輸入か国産かの問題は、我が国最高の専門家が英知を傾けて決定すべきものであります。政治が介入する余地の全く無い問題であることは、2月21日、坂田防衛庁長官の「久保発言は事実誤認」という発言によって明確になったと思います。

 小佐野賢治君は、私の古くからの友人ですが、互いの交際の中で、公私のけじめをはっきりさせてあります。今回の問題は一小佐野君との関連はまったくありません。なお私は、この15、6年間、児玉誉士夫氏と会ったこともなく、公私いずれの面に於いても付き合いが無いことは、世間衆知の通りであります。

 八、今回の問題が発生して以来、巷(ちまた)には憶測や独断にもとづく無責任な言動が横行しております。憲法に保障された基本的人権、プライバシーの権利などを論ずるまでもなく、こうした風潮は、真の民主体制を維持し、発展させていく上で、はなはだ憂うべき現象で有ります。しかし、伝聞、風説、噂、デマなどにもとづく奔流のような言動に対し、ひとつずつ反論を加え、完璧な対応をすることは困難なことであります。時の流れの中で真実が明らかにされることと思います。

 しかるところ、先日、社会党の石橋書記長が遊説先で演説し、私の名誉を傷つける発言をしたことが一部に報道されたことは、ご承知のことであります。一党の責任者の発言として黙過できないので、二階堂代議士を通じ、ただちに抗議したところ、同書記長から、「報道は事実を伝えていない」旨の釈明がありましたので申し上げておきます。

 九、この際、私のいわゆる資産形成について一言いたします。この問題については、公正な第三者による事実調査と確認などの作業が続けられておりますので、結果が確定すれば、これを明らかにし、世の指摘に応え得るものと考えます。

 十、現在、政府も党執行部も局面の打開に尽くしておりますが、本年度予算成立のメドさあ立っていないのが国会の実情であります。我が7日会も、政府、党執行部と渾然一体となり、難局の打開に全力を傾けるべき時を迎えました。国権の最高機関たる国会は、いまや、その責任を果たし、国民の負託に応えるべき関頭(かんとう)に立っておると思います。

 我々は、戦後30年の長い間、困難な国政処理に当たり、今日の我が国を築きあげてまいりました。我々は、そうした実績と誇りの上に立ち、全党員一致結束して、限りない前進をすべき時であります。ご清聴を感謝いたします。
(私論.私見) 「角栄の『ロッキード釈明』」について

 今日冷静に見るに、角栄は終生疑惑を否定している。それを居直りと受け取る向きもあろうが、この強い否定の仕方から見て冤罪説は傾聴するに十分に値するのではなかろうかと思われる。

 今日角栄を擁護する者の中にも、5億円授受をあったとしてそれでも角栄を支持するというスタンスの者が多い。しかし、真実角栄は貰っておらず全くの濡れ衣的冤罪として見直してみる余地があり過ぎるのではなかろうか、というのがれんだいこ見解である。もしこれが真相だったとなると、角栄政界追放過程に荷担した者は、相応の責任を負わねばならないであろう。少なくとも坊主ザンゲで済まそうとするのは虫が良すぎよう。

 考えて見れば、角栄は、民族派的誇りの強い党人派政治家であり、国内の金はともかく外国のエージェント機関から金を貰うことに対しては慎重であった、と考えることが十分可能である。確かに角栄は、金配りの名人であった。しかし、金の集め方にはナイーブであり、それが証拠に財界に頭を下げて出向くことを良しとしなかった。ある種の拘りを持ち、筋道の通らない金の調達を避けており、秘書軍団にも徹底させていたことが明らかにされている。児玉の如き口と腹が異なる作風を最も軽蔑する人士でもあった。こういうことを勘案すると、角栄の否定にこそ真実があり得る、と私は考えている。

 
ロッキード社からカネがばら撒かれたことが事実だったとしても、それが誰に渡ったのかまではコーチャンは証言していない。私には、角栄には渡っていない可能性のほうが高いように思われる。後に見るが、現金授受の様子は漫画的且つスリラーもどきであり、当時そのような危ない目をして金を貰う作法は角栄及びその秘書軍団にはなく、仮にそのような受け渡しがあったとしても、意図的に角栄にすりかえられている可能性がある。これが、ロッキード事件の胡散臭さ第13弾である。

 
2005.1.11日 れんだいこ拝

【児玉CIAエージェント説が漏洩される】
 4.2日、角栄が「ロッキード事件では私は潔白だ」と疑惑を否定した声明効果を打ち消すように、新聞各社は、米国からの児玉情報(「ニュー・リパブリック」誌のロッキード事件レポート)を一面トップで伝えた。次のような情報が流されていた。
 「児玉誉士夫は巣鴨拘置所を出所した1948年以来、CIA(米国中央情報局)と協力関係にあった。最初の接触は米占領軍情報部を通じて行われ、その関係は最近まで長年にわたって続いた。児玉を通じて政府高官に金が流れており、その中にはCIA資金も含まれていた疑いがある」。
 「CIAが行う秘密工作の為に、資金を移すトンネル機関としてディーク社という会社がある。1969.6月にディーク社はロッキード対日工作の為替業者になった。それは、児玉がロッキード社の秘密代理人となった半年後だった。それから1975.1月まで合計27回、総額約830万ドルがディーク社を通じ日本に持ち込まれた。そのうち約700万ドルが児玉の手に渡っていた。ディーク社とCIAの関係は、ワシントンの諜報界で機密扱いだった。日本の極右主義者や政府高官へのロッキードの秘密工作を、CIAは知っていたと思われる」

 同日、ニューヨーク・タイムズが、次のような記事を掲載している。
 概要「ロッキード社の賄賂工作を、ワシントンのCIA本部は、駐日大使館のCIAチャンネルを通じ、1950年代の後半には把握していた。事件が発覚したとき、CIAの東京支局は、その経過について本部と密接に連絡を取り合っていた。全ての動きはワシントンの承認を得て行われていた」。

 同日、ケネディ政権時代の国務次官補・ロジャー・ヒルズマン氏の話として、「日本の一つ以上の政党にCIAからの資金が供給されていると知らされていた」と報じた。

 前尾衆院議長は、平野氏に対し次のように吐露している。
 「政党の背後には複雑なものがある。僕が自民党の幹事長をやっている時も、CIAをはじめ、外国からの資金提供の話がいろいろなところから持ち込まれたものだ。しかし、僕は全部断った。どんなに苦しくても、政治に外国の資金を使ったら終りなのだが、このことのけじめがつかない人がいたということだ」。

【三木首相の執拗な角栄包囲網発言】
 4.3日、三木首相は、記者会見を開き、次のように述べた。
 「疑惑の政府高官が不起訴になった場合でも、その氏名を公表する道は塞がれていない。刑事訴訟法47条の但し書きに、そういう規定がある」。

 角栄の名前公表をちらつかせた牽制であり、両者は一歩も引けない戦いに突入した。

【中曽根ー松野ラインの暗躍】
 4.5日、中曽根幹事長の音頭で、与野党5党幹事長書記長会談が始まった。ロッキード問題に関する特別委員会の設置による厳正究明、予算を始め緊要な法律案の審議再開による国会正常化を申し合わせた。

 同夜、自民党の中曽根幹事長、松野頼三政調会長、民社党の塚本三郎書記長、河村勝ロッキード問題調査特別委員長の四者会談が開かれている。

 4.8日、三野党の国対委員長会議が行われ、野党総意として三木首相に党首会談を申し入れている。

 4.8日、衆院予算委員会は、自民党と民社党の二党のもの出席で、昭和51年度総予算を賛成多数(賛成238票、反対17票)で可決した。予算委員会に全会派が出席せずに可決したのは、戦後憲法下の憲政史上初めてのことだった。


【日米で資料取引始まる】
 4.8日、東京地検特捜部資料課長・田山太市郎と米国司法省知能犯課特別検事・ロバート・クラークが、路上で、割符確認のうえで米側資料を遣り取りした。4.9日、米国司法省刑事局長ソーンバークが、「資料引渡し完了」を発表した。米国から持ち帰られた資料は、地検内の極秘金庫に納められ、堀田検事を中心に解読を進めていった。

 4.23日、警視庁刑事部長・中平和水は、東京地検次席検事・豊島英次郎を訪ね、検察当局が米国から入手した資料の一回目の引渡しを受けた。検察が入手した約3千ページの15分の1のコピーで、表紙に「極秘・ナンバー1」と記されていた。表向きは警視庁特別金庫に保管されたが、実際には総監公社へ運ばれ、神奈川県警捜査二課長・兼元俊徳則が抜擢され、翻訳されていった。

米資料で政府高官の筆頭に田中角栄の名前が挙げられる
 4.10日、アメリカに派遣されていた東京地検が、ロッキード事件の日本関連資料を持って、羽田空港に降り立った。SEC(米連邦証券取引委員会)よりの資料が東京地検特捜部に届けられる。ロッキード社の対日不正工作の全貌を徹底的に調べ上げ、全文2860ページに及ぶ詳細な資料となっていた。その中で、コーチャンが疑獄の構造を証言し、政府高官の筆頭に田中角栄を意味する「TanaKa」を挙げていた。

 これにつき、2006.7.28日付け毎日新聞は、社会欄29面に次のような記事を掲載した。
 「『戦後最大の疑獄』と呼ばれるロッキード事件で、76年2月の発覚当初から、ロ社が対潜哨戒機P3Cの導入を働き掛けた疑惑が『事件の核心』とも指摘されたが、東京地検特捜部が事件化を断念した経緯が、複数の捜査関係者の証言で判明した。

 特捜部は当初、防衛庁幹部らから事情聴取するなど、P3Cを廻る疑惑も捜査したが、同年4月に米国から届いた『政府高官名』を示す資料にP3C関連がほとんど無く、証拠上の理由でトライスター機売り込みにシフトしたという。田中角栄元首相逮捕から30年を経て、事件の謎の一つが説き明かされた」。
 「対潜哨戒機を巡っては72年2月、海上自衛隊の次期対潜哨戒機を国産化すると政府が閣議決定しながら、同10月の国防会議議員懇談会(議長・田中角栄首相)で白紙撤回。74年12月に輸入の方向が強まり、ロ社のP3C輸入につながった。丸紅は72年11月、ロ社とP3Cの売却手数料授受契約を結び、73年7月には児玉誉士夫・元ロ社代理人とロ社との間で、『50機の確定契約があった場合、ロ社は児玉に25億円を支払う』との誓約が結ばれた」。
 「当時の捜査関係者によると、76年2月の米議会での事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めたという」。
 「同年4月、米証券取引委員会(SEC)から提出された全2860ページに及ぶ資料が日本の検察当局に届けられ、この中には『TanaKa』をはじめ政府高官名が記された人脈図などが含まれていたが、P3Cの対日工作を示す資料は見当たらなかったという」。
 「また、児玉代理人の脱税を巡る捜査でも、P3Cに関するロ社側からの資金提供を裏付ける証拠はなく、かなり早い段階で、トライスター機導入を巡る捜査に重点を置いていたという。1機当りの金額は当時、トライスター数十億円に対しP3Cは100億円前後と言われ、採用された場合の導入機数もP3Cの方が多く見積もられ、ロ社にとってP3Cの方が『うまみ』は格段に大きかった」。
 「このため、田中元首相への資金提供があれば、P3Cの受注工作資金との見方が当初あった。一方で、日米安保条約という国策も絡むP3C疑惑の立件見送りは『米国謀略説を裏付ける』などさまざまな憶測を呼んだうえ、『事件の本質に迫れなかった』などとロ事件の評価につながる議論の下地にもなっていた」。
(私論.私見) 

 このスクープの意義は大きい。しかし、これを理解しない者も多いだろう。これによると、「SEC(米連邦証券取引委員会)よりの資料が東京地検特捜部に届けられた」ことにより、ロッキード事件は自衛隊の対潜哨戒機P3C購入に伴う贈収賄事件が本筋のところ、全日空の民間機トライスターの購入に纏わる贈収賄事件へと無理矢理誘導されたことが判明する。

 こたびの記事の値打ちは、「事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めた」ことを明らかにしたことに有る。ということは、当初は、東京地検特捜部は、P3C事件の方に関心を示していたところ、SEC報告書によりその方面の捜査を打ち切り、示唆されていた「TanaKa」人脈図の解明に一本化したことになる。

 堀田検事の美談は無論、時の検察、裁判所の裏仕掛けが暴露されたことになる。思えば、この時点から「アメリカつまりユダヤいいなり」になっていたということになる。

 2006.7.29日 れんだいこ拝

【日共が、阿吽の呼吸で「ロ事件関係の疑惑の高官28名リスト」発表】
 日共が、赤旗紙上に「ロ事件関係の疑惑の高官28名リスト」を掲載。但し、断り書きとして「この中には潔白な人間がいるかもしれない」と付している。

 白井為雄氏は、「ロッキード事件恐怖の陰謀」の中で次のように記している。
 概要「日本共産党は正に思想的カメレオンであります。ジギルとハイドの顔と心を持つ二重人格の党であります。特に常日頃、明けても暮れても反米闘争を展開してきた日本共産党が、何故ロッキード事件に関しては、アメリカ側について事件の追及をしているのだろうか。この日共の反米から親米に移行したことに、深い不満と不信をもつことは当然ではないでしょうか」。

【最高検察庁が「角栄逮捕を意思統一」する】
 4.11日、最高検察庁の検事総長室に検察首脳7人、即ち布施健・検事総長、高橋正八・次長検事、神谷尚男・東京高検検事長、龍川幹男・東京高検次席検事、高瀬礼二・東京地検検事正、豊島英次郎・東京地検次席検事、佐藤忠夫最高検刑事部長が集まり、田中角栄逮捕へ向けて意思統一した。

【中曽根幹事長の「テレホン・サービス問題」】
 4.13日、日共機関紙赤旗が、中曽根幹事長が選挙区へ流していた「テレホン・サービス」の内容を報道し、物議をかもした。「テレホン・サービス」は次のようなメッセージを流していた。これを「中曽根幹事長のテレホン・サービス問題」と云う。
 概要「3月のある時期から民社党と話し合いし、4.10日に予算を通すという盟約を作った。この功績も責任も全部私に属す云々」。

 これにより、中曽根幹事長は、4.15日、民社党の塚本書記長に文書で陳謝した。更に、同夜、前尾議長を訪ね謝罪した。
(私論.私見) 

 この事件の裏意味は分からないが不自然なことではある。

【5党の呉越同舟の動き】
 4.17日午前10時、衆議院議長公邸で、前尾・河野衆参両議長と三野党党首会談(社会党は成田知巳、公明党は竹入義勝、共産党は宮本顕治)が開かれた。共産党の宮本委員長は国会議員ではなかったが、特段の異議も出ず出席した。午後2時、三木首相と両院議長が会談。午後6時、石橋社会党書記長、不破共産党書記局長、矢野公明党書記長の三野党書記長階段が開かれ、「正常化には厳しい条件を付け、徹底的に三木政権と自民党から妥協案を引き出す」ことで合意した。

 4.19日、衆院議長公邸で、両議長立会いで、三木首相と成田(社会党)、宮本(共産党)、竹入(公明党)の4党首会談。

 4.20日10時30分、「国会正常化に対する衆参両院議長の覚書」が各党に内示され、午後11時、「国会正常化に対する衆参両院議長の覚書裁定文」がまとまり、各党の根回しが続く。

 4.21日午後2時30分、憲政史上初となる衆参両院議長立会いによる5党党首会談が開かれた。この時、共産党の東中光雄議運理事が席順について藤野事務総長に注文をつけている。両院議長に向って右側に三木、春日、左側に成田、宮本、竹入という席にせよとの申し出であった。平野氏は、「昭和天皇の極秘指令」の中で次のように記している。
 「案の定というか、結局、共産党の宮本委員長が『春日君は三木首相の隣り、成田君と竹入君はこっち』という調子で、次々指名して取り仕切った」。

 三木首相が、会談の最後に次のように述べ締め括った。
 「両院議長の裁定内容を前向きに処理し、政党間の信義を守る決意である。ロッキード事件究明は迅速且つ徹底的に進め、政府特使の派遣は多国籍企業全体の問題も任務に加え、法案の審議促進を図りたい」。

【昭和天皇の動き】
 平野氏は、「昭和天皇の極秘指令」の中で次のように記している。
 「ロッキード事件による国会紛糾を『両院議長裁定』で収拾した直後、前尾議長は核防条約の承認を与野党に熱心に働き掛けていった。事実、核防条約は4.28日の衆議院本会議を通過し、5.24日の参院本会議で承認成立した。核防条約の承認は、ロッキード事件で倒れたこの国会で唯一の成果だったのである。6年に亘って国論を二分し、与野党がそれぞれの内で対立を続けていた国際的課題が、一挙に解決することになったのだ」。

【椎名副総裁が「三木下ろし」始め、マスコミが批判する】

 椎名が次のように動いている。5.7日、「機は熟した」として田中前首相と会談、5.9日、大平蔵相と会談。5.10日、福田副総理と会談し、国会終了後の三木退陣で合意をとりつける。この時の椎名の腹の内が次のように明かされている。

 「ロッキード事件がシーメンス事件のように大疑獄の観を呈し、大きな動揺を政財界に与えているのに、首相の姿勢は見ようによっては、まるで水を得た魚のように生き生きと、ほとんどこれを楽しむような気持ちさえみられるのは、大自民党を率いるうえで、いかにも残念なことだ。『一点の惻隠(そくいん)の情さえ見られない』勇み肌の心構えは、政界の最高指導者としていかにも至らざる態度ではないだろうか」。

 しかし、マスコミは、こうした椎名の動きを「ロッキード隠し」と疑い、「おかしな『三木退陣要求の動き』」(毎日新聞)、「三木退陣論の虚構」(朝日新聞)、「理解できぬ自民の『三木退陣要求』」(読売新聞)との論調で、椎名工作を批判した。三木首相は、こうしたマスコミ世論の支持を背景に、「ロッキード疑惑の徹底究明を断行する」、「辞任も衆院解散もしない」と述べ、一瀉千里に田中角栄追い込みに狂奔していくこととなった。

(私論.私見) 「マスコミの変則政治主義」について

 マスコミは、不偏不党的なことを云うが、この時の「ロッキード隠し批判の大合唱」は政治主義ではないのか。当時の記者には責任が有る。今からでも弁明してみたまえ。それが真実正義に基づいておればまだしも、今日的米英ユ同盟のお先棒かついではしゃいでいただけだったらどうする。ペンの責任つうのを少しは考えたらどうかね。それと、いっそのこと各社とも政治主義的対応有りと公言して特徴の有る見解出した方が却ってスッキリするわな。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

ロッキード問題調査特別委員会発足

 5.14日、ロッキード問題調査特別委員会発足。5.15日、超党派議員団(田中伊三次団長)が訪米。


【第77通常国会衆院本会議が満期終了
 5.24日、第77通常国会の衆院本会議が終了した。通常国会が延長されずに終わったのは戦後初めてであった。
Re:れんだいこのカンテラ時評その95 れんだいこ 2005/09/08
 【角栄のこの声を聴け】

 1976.5.24日、第77通常国会の衆院本会議が満期終了した。通常国会が延長されずに終わったのは戦後初めてであった。この年の2.4日、ロッキード事件が海の向こうから仕掛けられ、日本政界は大混乱に陥っていた。

 れんだいこはちなみに、ロッキード事件とは、児玉ー中曽根ーナベツネ派の悪事を角栄ー小佐野に切り替えて弾劾していった政治謀略であったとみなしている。これに呼応した検察、最高裁、マスコミ、宮顕ー不破系日共の胡散臭き生態をも見据えねばなるまい。

 それはさておき、5.25日、角栄は、ホテル・ニューオータニで田中派の国会終了慰労会パーティーを開いた席上で、次のように挨拶している(現代政治研究会「田中角栄 その栄光と挫折」)。
 「きのうをもって、150日の国会会期は終わりました。こうしてグループを組んでいる一座が、一息ついて『一杯飲もう』ということは、長い日本人の伝統で、いい催しで、ここに日本人の良さがあります。

 私も戦後30年の国会を見てきましたが、150日で終わった例はあまりない。150日は長いが、それ以上延長するという悪い習慣が、だんだん定着してきました。(国会改革の持論をひとしきり述べた後)

 こんな顔ぶれが集まったところで、自由にしゃべれないのだったら、民主主義なんぞ、あったもんじゃありません。いろいろ党内には派閥はあるけれど、オープンなのはわが7日会だけである。時と場合によっては、本当のことが言えなければダメであります。

 戦後30年、悪い慣例ばかりが残って、自民党が『悪い、悪い』と言われるが、悪いばかりじゃない。何万年という人類の長い歴史の中で、日本は退歩することはないし、人類の流れに停滞をもたらしてはなりません。これが政治の要諦です。

 参院選挙は一年前、衆院は6ヶ月前ーそれだけになったら、もう選挙戦は始まったも同然と言われます。これからは、お互いに選挙に当選するために努力しましょうよ。

 (ガラッパチ調に一変して)議席を持たないで、どんなに高い理想を持っていても、社会が悪い、制度、環境が悪い、ロッキードが悪いと言っていても始まりません。議席は自らの努力を持って確保するものなり。

 いよいよ危なかったら、私を呼んでください。人集め、見世物になるから(云々)。あと、どう集票するかは、諸君自らの力だ。こんな時期にガタガタすることはない。自ら国家の求めに応じて任ぜよーです。そのためには、私は見世物にもなる。

 我が派には、西村英一先生、橋本登美三郎先生以下、日本のための政治を推進する自民党の総裁候補はたくさんいる。田中総裁の時は、あまり政治は良くならんかったが、これからは、政治が退歩しないーそんなスタートにしてもらいたい。

 私は今日、皆さんに一杯ずつ注いで、黙って帰ろうと思ったが、つい長々としゃべってしまいました。ご健闘を!30年、ここまで努力してきた日本を、退歩させないこと、そのためには諸君が引き続き議席を確保することーその為に頑張ろう」。
(私論.私見) 「この時の角栄スピーチ」について

 「この時の角栄スピーチ」も又角栄のらしさが随所に出ている。且つ寸分無駄が無く味わい深い。戦後憲法秩序を尊重し、三権分立下の議会制民主主義を称揚し、政権党による責任政治を引き受けることこそ政治家の本領とする立場からコメントしている。

 現在を何万年という人類の長い歴史の流れに於いて捉え、日本の良き伝統をも見据え、「日本は退歩することはないし、人類の流れに停滞をもたらしてはなりません。これが政治の要諦です」と云う。逆に云えば、「戦後30年、ここまで努力してきた日本の今後の退歩」を危惧していることになる。れんだいこには、まことに識見であるように思われる。

 田中派を最も自由闊達な議論の許容された派閥であることを誇っている。自由な議論こそが民主主義の要諦基盤であることを指摘し、「時と場合によっては、本当のことが言えなければダメであります」と断じている。

 ここから先のコメントはもう不要だろう。思えば、こういう歴史眼と政治能力を持つ角栄を日本政治史上から追放したのがそも間違いであった。あれから30年、日本は角栄が心配した通り、途方も無くダメな国に変質せしめられてしまった。

 「改革」という名の下に、ペテン師達によって更に悪い国にさせられようとしている。口先や見せ掛けだけではなく、誰が売国奴シオニスト被れで、誰が愛国愛民族士か見極め、相応しいもてなしをせねばなるまい。

 9.11まもなく結果が出る。小ネズミ政権に群がった一族徒党は崖っぷちに追い込まれている。我々の青票で、稀代の愉快犯首相の結末に相応しい愉快なサプライズ・ピリオドが打たれるだろう。れんだいこは今から楽しみにしている。

 2005.9.8日 れんだいこ拝


【日米合同調査の動き】
 この時、奇妙なほどにタイミングよく「日米合同体制」が敷かれている。(詳細割愛)

 以下、新野哲也氏の「角栄なら日本をどう変えるのか」を参考にしつつ論を述べる。この時、日本の司法当局が、次の四点に付き原則を確立しておれば、「ロッキード事件」は不発となったであろう。
 外国における告発や証拠をもって起訴はできない。ましてや一国の元首相に向けてをや。
 反対尋問が不可能な証言は採用できない。
 外国の要請による事件摘発に応ずることは、主権国家の否定に繋がる故にできない。
 「国際謀略」がらみの事件には慎重を要する。

【東京地検の対応】

 嘱託尋問採用問題」で別途論ずる。

 ロッキード闇献金の日本政府高官への贈収賄を立件する為に、贈賄側の取調べが必要となった。東京地検に特別捜査本部が設けられ、贈賄側の裏づけを急ぐことになった。しかし、この場合、贈賄側の主犯であったコーチャン・ロッキード社副社長やクラッター、エリオットらはアメリカにいて、日本の検察機構は手を出せなかった。

 こうして、東京地検の検事(堀田力主任検事ら)を「法務省特使、捜査検察官」の肩書きで渡米させ、コーチャンやクラッターらの取り調べに向わせた。堀田自身の言に拠れば、アメリカ当局は捜査に非常に協力的であった。著書「壁」文中に、「こんなに協力して頂けて、日本の法務省も検察庁もどんなに喜ぶことか、想像できません」と感謝の言葉を述べた、とある。しかし、更なる捜査を押し進めるためには、越さねばならない法的「壁」があった。

 東京地検は、外国の裁判所に対して証人調べを依頼しようとする。ところが、わが国の刑事訴訟法には、外国の裁判所に対して証人調べを依頼する明文規定がなかった。となると、「明文に無いことはできない。この原則は崩してはならない」(石島泰弁護士)となり、捜査は暗礁に乗りあがるべきところであるが、この時の検察は、何かに憑かれたようにいともたやすくこれらの難問を突破せしめて行くことになる。

 この当時、検察は安原美穂氏が刑事局長をしていたが、同氏の指揮の下に、米国の裁判官による証人尋問を、司法・外交ルートを経由していわば強引にこじ開けていくことになった。この時、安原氏とアメリカ側との間にどのような気脈が通じていたのか知る由も無いが、アメリカが望む通りに司法担当者を差し向け、望む通りに米国の裁判所に証人尋問を嘱託していくことになる。

 その経過はこうである。東京地検は、刑事訴訟法上の裁判官による起訴前の証人調べの制度を利用していくことになった。この時、「コーチャンらがもし黙秘権を行使して証言を拒んだ場合であっても、同人らに対し『起訴しない』という約束をして証言させるように」という「不起訴約束による供述誘引」策を便宜した。

 布施検事総長と高瀬東京地検検事正が連名で不起訴宣明した(「第一次宣明」)。その文面には次のように記されていた。

 「証言内容又はこれに基づき入手する資料中に、仮にな日本国の法律に抵触するものであるとしても、証言した事項については右各証人を起訴しないことを宣明する」。

 これが嘱託尋問といわれるものであるが、その手法的是非が詮議されるべきであったにも関わらず、論ずるよりも行動を先走らせることになる。この「嘱託尋問問題」は、ロッキード事件の胡散臭さ第14弾である。

 この手法は、米国では法律に明文規定がある。但し、一方的な「刑事免責」を保証した上での証言という「刑事免責」(イミュニティ)は、法の公平性を欠く強引な取り調べ方法であるので、被疑者やその弁護人による反対尋問権を行使させることを要件とする等厳重な制約の下で認可されている。法治国家の筋としてそうなるべきであろう。

 ところが、この時東京地検は、「反対尋問権無き起訴免責による嘱託尋問」という、凡そ法の精神に反し法治国家に相応しくない前代未聞のやり方で「コーチャン証言を引き出していくことになった。
「反対尋問権無き起訴免責による嘱託尋問」の形にしてまで突っ走った「背後の意思」は何であったのだろうか、これがロッキード事件の胡散臭さ第15弾である。


【米国地裁の対応】

 米国地裁の裁判官は更に役者が上であった。この嘱託尋問を行う係りとして、カリフォルニア州中央地区連邦地方裁判所によりケネス・N・チャントリー(上級裁判所退任判事)を執行官、副執行官に司法省特別検事ロバート・クラーク、連邦検事キャロライン・M・レイノルズを任命した。チャントリー執行官らは、コーチャン、クラッター、エリオット等を裁判所に出頭させた。だが、コーチャンらは、うっかりしゃべると贈賄側として日本で刑事訴追を受ける恐れがあることを理由に証言を拒否したと伝えられている。

 裁判所判事ウォーレン・J・ファーガソンは、コーチャンらの証言を採取した上で、日本に「刑事免責」制度が無いことを踏まえた上で、「この不起訴の約束によるコーチャンらの証言調書の引渡しには、日本の最高裁のオーダー又はルールを必要とする、それがあるまで証言調書は引き渡さない」と、東京地検にドッジ・ボールを投げ返している。これを仮に「ファーガソン裁定」とする。

 つまり、検察の「不起訴宣明」だけでは安心ならず、最高裁のそれを取り付けよという念の入れ方である。いかに「異常な刑事免責制度を押し付けようとしていた」か、米国側は熟知していたということになる。


【最高裁の対応】

 東京地検は、「ファーガソン裁定」を受けて、日本の最高裁に「不起訴宣明書」を出すよう促している。最高裁は、ここでもその手法的是非が詮議されるべきであったにも関わらず、論ずるよりも行動を先走らせることになる。経過不明であるが、すぐさま藤林益三最高裁長官以下15名の最高裁判事全員一致による「不起訴宣明書」を提出している。次のように宣明されていた。

 「右確約が将来にわたり我が国のいかなる検察官によっても順守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する」。

 その意味するところは、「証言内容に偽りがあっても、偽証罪の告発を受けないという保証付与」であった。アメリカの国内法では偽証責任が問われるが、日本の最高裁の「不起訴宣明」があれば、日米間の司法取決めにより、証人が偽証した場合でも咎められることが無い、日本の裁判所はアメリカ側に偽証かどうかを確かめることが出来ないという裏付けを与えたことになる。つまり、「不起訴宣明書」は、偽証免罪符的な免責効果を持つ異例の逃げ道を用意したことになる。恐るべき違法脱法行為と云えよう。

 
こうした東京地検と最高裁と米国裁判所の遣り取りは、全く「違法を正すべき職責を任務とする機関の対応としては自制すべきであった」が、結果的にこうした不当な手法を合意させ、ごり押しのまま米国裁判所にコーチャンらの証人尋問をさせることに向かった。
この「不起訴宣明」経過は、「アメリカと日本の司法官僚の出来レース」ぶりを物語っており、ロッキード事件の胡散臭さ第16弾である。

(私論.私見) 「最高裁の不起訴宣明書」について

 恐怖せねばならぬことは、これらのいずれもが法の番人の世界で起こった取り締まり側からの法の蹂躙であるということである。この経過は、法の建前というものが、ここ一番になると如何に政治主義的にかなぐり捨てられるのかを語って余りあるであろう。ちなみに、角栄死去後の榎本らの上告審では、最高裁は嘱託尋問調書を証拠から排除している。それを思えば、極めて政治的な動きを見せたことが裏付けられる。

 
ちなみに、逆の事例を考えてみれば分かりやすい。コーチャン等の嘱託尋問のようなことが仮にアメリカから日本に要請されて、日本の裁判官が日本にいる日本人に対して将来ともアメリカの法廷に出廷しなくても良いからと保障して尋問調書を作った場合に、アメリカの法廷がそのような調書を認めることがあるであろうか。蛇足であろうが、絶対にない!。

 奇妙なことは、この時の尋問事項があらかじめ田中総理との絡みに設定されている節がある。更に奇妙なことは、コーチャンの答弁は「5億円は丸紅に渡されたが、その先が誰に渡されるのか、はっきりしなかった」と述べているにもかかわらず、コーチャンが角栄への贈賄を証言したとフレームアップさせられ、波紋を広げていくことになったことである。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

最高検検事伊藤栄樹の当時のコメント
 最高検検事・伊藤栄樹は、当時次のようなコメントを発表している。
 「ロッキード事件は、世界各国にまたがる国際的な疑獄だった。ロッキード社は、オランダのユリアナ女王の夫君であるベルンハルト殿下やイタリアのタナツシ国防相をはじめ、約10ヶ国にのぼる首脳に賄賂を贈ったと伝えられたが、的確に処理したのは日本だけです。日本の検察の威信は、世界的にも評価されはじめている」。
(私論.私見) 「伊藤栄樹のコメント」について

 なんと云う「呆け方」だろう。諸外国は、胡散臭さを感じ取り自制した訳であり、馬鹿げた「不起訴宣明」に手を染めなかっただけのことであろうに。とはいえ、伊藤栄樹はこのおべんちゃらの功で出世階段上り詰めていくことになる。

 2005.1.11日 れんだいこ拝

【今日なおこの時の情報不開示の奇怪】

 なお、この件につき最近2002.5.23日付けの日経新聞に興味深い記事が載った。以下転載する。

 「ロッキード事件で、コーチャン氏ら関係者三人の嘱託尋問調書を巡り、刑事免責を伴う『宣明書』を最高裁が出した際の裁判官会議録などについて、大部分を不開示としたのは知る人ぞ知る権利の侵害として東京都内の団体職員の男性(41)が22日、国に慰謝料など130万円の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。

 訴状によると、男性は2001.5月、最高裁が1976.7月に開いた裁判官会議録や、宣明書に関し法務省、検察当局、米国の裁判所と折衝した記録など4件の文書開示を請求した。しかし、最高裁は同月、一部を除いて不開示を決定した」。

 最高裁広報課「個別具体的な事件についてのコメントは差し控えたい」。
(私論.私見) 「最高裁の不起訴宣明書経緯」はなぜ明らかにされないのかについて

 こうして、今に至るも、「最高裁の不起訴宣明書経緯」は明らかにされない。つまり、今日なおこの時の最高裁の奇妙な動きについて公表為し得ないと云う立場を取っていることが判明する。何故なのか。この時の最高裁、検察、法務省等司法当局は、未だ自己切開為し得ないほど変調な軌跡を描いたということであろう。

 2005.1.11日 れんだいこ拝
 


【田中角栄逮捕の経過と概要―ひたすら田中逮捕へと誘導されていくことになった】

 6.2日、「衆議院ロッキード問題に関する調査特別委員会」で証人喚問が始まり、6.24日まで6回、延べ12名の証人を喚問した。

 6.3日、政府が、ロ社の3幹部に免責保証を決定。


【三木首相と安原刑事局長が謀議
 6.5日、日本経済新聞夕刊は次のように伝えた。 (秦野章・氏の「角を矯めて牛を殺すなかれ」参照)
 「この日の正午過ぎに、法務省の安原刑事局長が、東京南平台の私邸に三木首相を訪ね、コーチャン氏らロッキード社関係の社員証人の免責問題について、『日本では免責制度はないが、起訴猶予処分の枠内で事実上免責する方向でアメリカ連邦地裁と現在交渉中である』と報告した。これに対し、三木首相は、『法律の枠内で処理するなら、法務、検察当局に任せる』と述べ、事実上ロ社三証人の免責を認める考えを示した」。

 これに対し、秦野章・氏は、次のように批判している。
 概要「首相が刑事局長を自宅に呼んで指図することは本来あってはならない。首相は法務大臣と協議するのが筋である」。
(私論.私見) 三木首相の職務権限過剰行使について

 これこそ三木首相の職務権限過剰行使として問題にすべきではなかろうか。

 2006.3.19日 れんだいこ拝
 

新自由クラブ結成される
 6.14日、河野洋平山口敏夫ら自民党議員6名が「自民党は長老支配のもと密室的な権力闘争に終始している」と批判して離党、

【福田太郎急死する】
 6.10日、ロッキード社と児玉を繋いだ通訳の福田太郎氏が肝硬変となり急死した。福田氏の死亡は、児玉ルートの捜査を困難にさせた。

検事総長室で田中逮捕が決定される
 6.19日、検事総長室の定例会議の席上、検事総長・布施健、高橋、東京高検検事長・神谷尚男、東京地検検事正・高瀬礼二による四者会談で、田中逮捕を決定した。「Xデー」を6.22、23、25のうちに決め、最終選択は東京地検の判断に任された。この時点で、嘱託尋問の成果を引き出せて居らず、いわば見切り発車であった。

【検察の初動攻勢/容疑者逮捕】

 国会喚問後の6月末ごろから7月初旬にかけて、偽証容疑の議院証言法違反や外為法違反で関係者が次々と逮捕されていった。

 6.22日、突然逮捕が始まった。東京地検が、丸紅関係者として専務・大久保利春を議員証言法違反で逮捕した。警視庁が、全日空関係者として専務・沢雄次、経理部長・青木久頼、業務部長・植木忠夫の3名を外為法違反で逮捕した。

 6.24日、丸紅前専務・伊藤宏は逮捕されていなかったものの、警視庁で11時間を越えて事情聴取されていた。この時の警視庁の取調べの様子がリークされ、警視庁と東京地検の気まずい関係が増幅された。


【三木首相が東京地検特捜部ロ事件担当検事で渡米中の堀田力・氏に政治圧力】
 6月頃、三木首相が、東京地検特捜部の同事件担当検事で渡米中だった堀田力・氏に「どのぐらいでケリが付くのか」と国際電話で捜査状況を問い合わせていたことが判明した。堀田氏が明らかにしたが、質問には回答しなかったとも述べている。同社は、「現場の検事への照会は極めて異例で、事件解明に政治生命を賭けていた三木氏の執念をうかがわせる」とコメントしている。堀田氏は翌月6日から始まるコーチャン元ロ社副会長への嘱託尋問のため、米ロサンゼルスにいた。(2006.7.26日付け山梨日々新聞「三木氏『いつケリ付く』 ロ事件田中逮捕30年」)
(私論.私見) 

 三木首相のこの行為は、三権分立制度の根幹を毀損せしめていよう。

 2006.7.26日 れんだいこ拝

【三木首相が第二回目の主要先進国首脳会議に出席のため出発
 6.24日、三木首相が、プエルトルコで開かれる第二回目の主要先進国首脳会議に出席のため出発。三木首相はこれに出席した後アメリカに向かった。三木首相の主な目的は、「ロッキード事件の追及に関し、アメリカ側からより多くの協力を得る」ことだった。

ロサンゼルス連邦地裁で、嘱託尋問始まる
 6.25日、ロサンゼルス連邦地裁で、嘱託尋問始まる。

新自由クラブ結成される
 6.25日、河野、西岡、山口、小林、田川、参院議員・有田一寿の6名が離党届けを中曽根幹事長に提出し、新自由クラブを結成した。

コーチャンの嘱託尋問の様子
 6.28日、東京地検特捜部・堀田力、同・東条伸一郎は、日本の捜査史上前例のない「司法共助」に基づき、ロサンゼルス連邦地裁で、ロ社前会長コーチャンに対する嘱託尋問二日目に入った。この時、知日派の米国ミシガン州立大学教授B・J・ジョージが臨席し、概要「日本の法制には刑事免責制度がない。起訴便宜主義をもって免責に代えることができるという日本検察当局の主張には法理論上疑義が残る」と主張した。

 7.2日、ロス連邦地裁所長代理のファーガソンが、コーチャンらに対する日本側の刑事免責を有効と認めるかどうかの判断に付き、有効と裁定した。

【三木首相がフォード大統領と首脳会談

 6.30日、三木首相はサンファン・サミットに出席した帰路ワシントンに回り、フォード大統領と首脳会談。日本側から三木首相、宮沢外相、アメリカ側からフォード大統領、キッシンジャー国務長官、レビ司法長官が出席した。

 この時の会議資料では、ロッキード事件の処理が、経済分野と並ぶ主要議題になっていた。三木首相は、ロッキード事件究明の協力を要請したと伝えられているが、この会談記録は、25年を下経た2001年現在今でも非開示であり、国家機密扱いとなっている。公文書保管所のスタッフは今日においても、「その記録は国家安全保障上の理由で公表されない」としている。

 とはいえ、次のことが透けて見えてくる。@・ロッキード事件をP3C哨戒機などの軍用機の解明に向わせないこと。A・民間機購入のトライスター疑惑解明に向かい、角栄逮捕まで漕ぎ着けること。B・児玉逮捕から突破口を開くこと。これにつき、米国は日本政府の捜査に徹底的に協力、支援することを約束する。

 1997年に公開されたキッシンジャー・レポートは、この時三木首相が、キッシンジャーともフォード大統領とも「ロッキード事件についての全般的な意見交換」をしたことを伝えている。興味深いことは、田中首相に対する絶賛且つ警戒的レポートとは対照的に、「彼の政策はしばしば詳細に欠け、実質的な内容より広報宣伝的要因から生まれる場合が多い。三木が成功した分野は数少ない」と軽視酷評されている。

 月刊ペン10月号は、「日米首脳極秘会談で決まった田中逮捕」との見出しで次のような記事を掲載している。

 「席上、三木首相が、この上の格段の協力、配慮を要請したのに対し、同席のレビ司法長官は特に協力的で、日本側最高裁の、コーチャンら3証人の供述内容に対し免責を保証するならば、嘱託尋問とは別に司法省の手で特別に3証人の田中に関連する証言をとってもよいことを明らかにした。

 これに対し三木首相は、帰国してから最高裁の同意を得ることを条件にレビ司法長官の提言を承認したので、レビ長官は直ちに司法省刑事局のクラーク特別検事に電話で連絡打ち合わせ、7.17日に同特別検事をロスアンゼルスに派遣して、その日のうちに証言を取ることを約し、更にスチーブンス連邦地裁判事も、その証言内容を日本政府に伝えることについての証人もとりつけた。

 こうして7.23日(日本時間7.24日)、日本側の免責保証を確認して、証言内容を日本側に伝えてきたが、その時司法省によれば、その内容は田中逮捕の決め手になるものなので、これで三木政権は田中逮捕は決定的であることを強く意識した、と思われる印象を得たとしている」。

 7.3日、サンフランシスコで同行記者団と懇談、「ロッキード事件が解明されない限り今後の政治日程は立てられない」、「『三木下ろし』には断固戦っていく」と繰り返した。この頃から、「ロッキード事件の徹底究明に自分の政治的生命を賭ける」と強気に出始めた。


【ロッキード事件関係者の大物逮捕が始まる】
 7.2日、東京地検が、丸紅前専務・伊藤宏を偽証罪で逮捕。同日、警視庁が、児玉秘書・太刀川恒夫を殖産住宅前会長・東郷民安に対する強要罪容疑で逮捕。

 7.7日、東京地検が、全日空取締役・経営管理室長・藤原享一を外為法違反で逮捕。7.8日、全日空社長・若狭得治を外為法違反、偽証罪で逮捕。7.9日、全日空副社長・渡辺尚次を偽証罪で逮捕。

 7.13日、丸紅前会長・檜山広を外為法違反で逮捕。大久保前専務が偽証罪で、沢専務ら全日空関係者3名が外為法違反で起訴された。7.19日、丸紅総務課長・毛利秀和、運転手・松岡克浩を証拠隠滅容疑で逮捕。児玉の友人、水谷文一を処分保留のまま釈放。7.20日、丸紅秘書課長・中井篤也を証拠隠滅容疑で逮捕。7.23日、伊藤前専務を偽証罪で起訴。

 この間児玉も起訴されたが、病状のためか逮捕は免れている。
(私論.私見) 「児玉不逮捕」について

 ロッキード事件であろうがP3C事件であろうが、児玉が全てのカギを握っている。そのキーパーソンを常に表に出さないまま、ロッキード事件が次第に角栄包囲網へと形成されていく。この辺りを見んと真相が一向に出てこんわな。

 
2005.1.11日 れんだいこ拝

【三木首相―稲葉法相ラインの異様な角栄訴追運動】

 7.4日、稲葉法相が、毎日新聞記者とのインタビューで「横綱級は2ヶ月以内に」とロッキード事件での大物逮捕を予告した。田中が逮捕されるのはそれから3週間後になる。

 7.27日午前6時半頃、稲葉法相が三木首相に電話を入れ、「実は、法務省の安原美穂刑事局長から、田中前首相に対して、外国為替法違反容疑で逮捕したいので許可願いたい旨の電話があり、許可しました」と伝えている。三木首相は、「おお、そうか、おおそうか---」と繰り返した、と伝えられている。 


【警視庁が、児玉追及に入る】
 この頃、警視庁は、児玉追及の突破口として、殖産住宅前会長・東郷民安を事情聴取に着手している。7.2日、児玉の秘書・太刀川恒夫を東郷に対する強要罪容疑で逮捕し、殖産住宅も捜査を受け、帳簿類が押収された。この事件は、警視庁が検察と違う動きをしていたことを示しているように思われる。

 7.22日、強要罪で起訴。
(私論.私見) 「検察庁と警視庁の思惑の差異」について

 捜査当局のここまでの動きで、「検察庁と警視庁の思惑の差異」が認められる。検察庁は何としてでも角栄逮捕に一瀉千里であり、警視庁はむしろ児玉ー中曽根ラインの摘発に向おうとしていたように見受けられる。事実、ロッキード事件は、検察庁と警視庁の闘いでもあったように思われる。この点に付き論及されることが無いが。

 2005.9.3日 れんだいこ拝

【田原総一朗が、「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」論文を発表する】
 田中角栄入門」に、興味深い記述が為されている。この頃、評論家の田原総一朗が、1976.7月号の中央公論に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」論文を発表した。その中で、ロッキード事件は田中角栄を失権させるためにアメリカがしくんだ謀略だと次のように述べている。
 「キッシンジャー国務長官やチャーチ議員が、日本の政治家で最も警戒しているのは田中角栄で、彼の資源外交を、キッシンジャーは『反ユダヤ的行為』だと決め付け、。チャーチ議員のスポンサーであるロックフェラーは。田中角栄氏が首相時代に、彼についての資料を密かに集めさせた形跡があるということだ云々」。  

 そのゲラ刷り原稿のいきさつについて次のように記している。
 田原総一郎の「アメリカの虎の尾を踏んだ角栄」のゲラは事前に中央公論から小長啓一のもとに回ってきた。小長はこれは書きすぎで、「手を入れないといかんかな」と思ったが、田中角栄が「大筋いいんじゃないか」ということで特に異論を差し挟まなかった。かくて論文発表となったという。このことを小長自身が「発掘田中角栄」(新潟日報)のなかに書いている。
(私論.私見) 田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」について

  田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」は当然の観点の披瀝であるが、当時の気違い染みた角栄批判網の勢いにかき消されてしまった。そのことはともかく、そのゲラ原稿が事前に小長啓一と田中角栄に見せられていたとのことである。角栄が「大筋いいんじゃないか」と述べた、ともある。ということは、角栄は、ロッキード事件の仕掛け人としてアメリカの影を捉えていたということになる。

 2005.9.9日 れんだいこ拝

 これより以降は、ロッキード事件の概要2(角栄逮捕ー保釈)





(私論.私見)